思い出の中の雨

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「ああ――」  相変わらず、奥さんの表情は変わらない。 「ああ、あなたの体温を感じるわ。プログラムされていたのね。本当に、本当に、私はロボットなのね」  手渡したソレを抱きしめながら、奥さんは言う。 「ねぇ、私達は大枚を叩いて、車や、家や。挙句に体まで転々と変えていったというのに」  とうとう曇天から降りだした梅雨の音が、ここまで聞こえる。 「なんて無様なのかしら、なんて滑稽なのかしら。あなたとの思い出も、あなたとの別れも、忘れてしまうなんて」  天井から、雨が彼女の顔の右半分の辺りに注いだ。   「1ビットとしても、あなたとの記憶を失ってしまうくらいなら、いっそのこと――」  涙を流せないはずの彼女は今、確かに泣いていた。 「あの時に一緒に死んでしまったほうが良かったと、心のそこからそう思えてしまうのです」  バチリ、と音がした。  雨漏りは今度、皮膚がはげた左半分に注いだらしい。デバイスやPC程度にしか機械に触れない僕でも、ショートしたのだろう位はわかる。  そこから少し時間を置いて、システムの再起動を完了させる音が聞こえる。 「まあ、お客様がいらしたんですの? ごめんなさい、私、寝ていたみたいで」 「ああ、お構いなく。僕は奥さんに書類を届けに来ただけですし、それに今、コーヒーを頂いて帰るところです」  僕は帽子を目深に被りなおし、ドアノブに手をかけた。 「お邪魔しました」 †――† 『良いのか? 彼女、あのままにしておいて』 「冗談じゃない。僕が彼女から貰ったのは雨水コップ一杯分だぜ」 『それはそうだけど』  デバイスの音量を調節しながら、僕は助手に向かって話しかけていた。 「念のためコピーを取っていたあの屋敷の現状報告書の空欄に、ロボやIT関係に詳しそうな友人数人の連絡先を載せたなら、彼女に貰った報酬分は働いたと、そうは思わないかい?」 『相変わらず、守銭奴な奴だ。僕という助手がいながら』 「まさか。これでも温情なほうだよ」  風と共に降る雨を追うように僕は振り向く。 「『7月中に取り壊しの決まった幽霊屋敷に、ホームレスが住み着いているかどうかの調査をして欲しい』という地主の依頼に対して僕は、『人間は居なかった』と報告する他無いんだから」    蔓だらけの館が、もうじきに花をつけようとしていた。
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