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傘を盗まれたというのは、嘘だった。彼といっしょに帰るための口実だ。
桐生くんは優しい。傘がなくて困っている女の子がいたら、必ず手をさしのべるだろう。わたしはその優しさにつけこんで、傘がないふりをし、何度も彼の傘に入れてもらっていた。
少しでも長く、桐生くんとふたりきりでいるために。
ずるい人間だ、と思った。人の善意を利用して、自分の欲望を満たそうとするなんて。
傘の切れ間から、濁った空を仰ぐ。まるで、自分の醜い内面を映し出しているかのようだった。
彼と並んで帰るのは、雨の日だけ。当然、いっしょに歩いているときに見えるのは、今日みたいな暗い空ばかりだ。
もし、違う景色を見ることができたら……。
ふと脳裏をよぎったその考えは、わたしの中で急速に膨らんでいく。このままではだめだ、という思いと相まって、明確な意志が形作られていく。
変わらなければならない。このままずるずるとひきずっていたら、きっといつか後悔をする。
わたしは拳を握りしめた。
駅にたどり着いた。屋根の下で、桐生くんは傘についた水滴を落とした。こちらを振り返った彼に、わたしは深呼吸をしたあと、声をかける。
「桐生くん」
震える自分を叱咤し、声を絞り出す。
「わたし、ずっと――」
まずは謝ろう。彼をだましていたことを。許してもらえるかどうかわからないけど。そして、言うんだ。自分の気持ちを。桐生くんへの想いを。
彼と、晴れた空の下をいっしょに歩くために。
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