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舞妓になるまでには独学で読み書きを覚えて、字の書いてあるものなら、反故の借用書でも、ふくらし粉の口上書きでも熱心に読んでいる。半玉時代になると
「おかあさん、今日は高瀬川の小間物屋が来ますえ」
「今夜は、久しぶりに大阪の旦那はんが見えますえ」
「夜中に、お隣のミルク・ホールにこそ泥が入る」
「御姉さん、お風呂で誰それに会わはったやろ」
「菊子はんがなくした蒔絵の櫛は、火鉢の引出し」
どれもこれも、ぴたりと当たる。諸芸は鍛錬次第ながら、土の色の染み付いたようなこの少女はどう磨いてもことさらの上玉に輝き渡ることはない、とさっさとあきらめた回りの大人たちは、
「面白い子ぉやわ。少々不器量でも、これでお座敷つとまるえ」
一人前以後の極めつけは、ある夕暮れのおこしらえの時。男仕の手で丸帯きゅうっと締められた瞬間の、
「姉ちゃんの旦那はん、死なはった」
「いや、かなんわあ。何を縁起でもない」
ときっとなって姉芸者は睨めつける。紅を挿す指が震えている。そこへあわただしく人の駆け込む気配。
「姐さん、大旦那、脳卒中でさっき亡くなりました」
その日から、姉芸者は八重子はんに口を聞かない。
八重子はんは以来、予感は一切口にしない。でも三味線の撥休めずに一目見るだけでぴんと来るもの、内深くの感覚が、押さえ込まれた歳月の内にいよいよ研ぎ澄まされてまいります。
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