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新入早々のバスケット部でセンターを組んだのが、生涯の友、と言える中島小百合でございます。中島小百合は、百代にわたる家系図の初代は、おそれ多くてとても申し上げられぬ、というか、本人が「笑っちゃうでしょ」と言うようなご先祖さま持ちの、愛知県生まれながら、商社マンの父親の転勤でヨーロッパで育った、当時はまだ珍しかった帰国子女の走りでございました。彼女は、十歳の時に母を亡くして、継母とはよくある事情から、パリ郊外の寄宿学校でリセまで優等で過ごし、奈良女でもお茶女でもすんなり入れるほどの秀才だったらしいのに、我が三流女子大から、「授業料と寮費免除。学生食堂は木戸ご免」の特典つき三顧の礼で迎えられた、日本語の読み書きよりもフランス語の方が達者な、仏文科の特待生でございました。私と年は同じなのに飛び級進学で、大学では一級上におりましたが、あほばっかりの女子校では飛びぬけた逸材でございましたから、高校の時
からよく知っておりました。すらりとした体躯に、我がバスケット部の、あまりにも有名なショッキングピンクのユニフォーム、これは胸に学校の名前を銀色の漢字で縫い取りした、ださいが上にもけばけばしいもので、身内からさえ、「大正末期に、誰がどういうセンスでデザインしたんやろ」、「何じゃあれは、キャバレーのガム売りか」とせせら笑われておりまして、毎春、新入生の勧誘にはほとほと苦労した、と先輩から聞いておりましたけれど、これがまた中島小百合のためにデザインされたようにぴたりと似合いまして、同じ桃色の、これまたど派手な鉢巻を翻して鮮やかにシュートを決める姿には、中、高等部の下級生の間では、那智わたる親衛隊に劣らぬほどのファンクラブがございまして、一枚看板の中島小百合が、「あのユニフォームは、いい女じゃなきゃ似合わないから、あなた、お入りなさい」と、隣接の高等部に出かけて声をかけると、入部を断る下級生はまず
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