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昨年糖尿病の伯母が亡くなってからは、住み込みのおばさんが休みをとるたびに、従姉妹の誰かが伯父の家政婦として送り込まれますが、子供のない鶏箔は昔からガキ嫌いで、わさわさといる甥や姪の名前さえろくに覚えてはおりませんし、電話線も「やかましわい」と引きちぎるほどの偏屈なので、ローソク屋の次女の昌子と仏具屋の咲子は、どちらも暇で困っているはずの行き遅れの家事見習の癖して、この伯父が大嫌い。伯父もこの二人が苦手で、「浮わついた若い娘なんか、どう扱うてええか分からんから、よこしてくれるな」といつも渋っております。山と川に囲まれた宇治の屋敷は、お手伝いさん用のテレビ以外は、若い娘の好むようなものは何もございませんし、ほかの伯父たちに、
「由美子、鶏箔は子供の時からどえらい威張りで、回りが神童やて甘やかすさかい、わがままの言い放題。あいつは酒飲まへんさかい、喰いもんにはうるさいぞ。お膳ひっくり返しておかずの文句言うさかい、義姉さん、若いときはよう泣いたはった」とさんざん脅されて、少年鑑別所に送られるような気分でございました。
この宇治の屋敷は、五条の宮さまのご別邸でございました。ご本邸のお襖に六年かけて描きあげた山水画のお礼にあっさり賜ったものでございます。この宮家のご息女、よう子姫は、明治のころに、お宅さま北村貿易の初代にお輿入れ遊ばしました。
北村財閥の初代の立志伝は、今でも阪神間の商人たちの語り草になっております。明治維新の食い詰め士族、北村貿易初代、北村玲司は、最初は福原新地の屋台で母堂お手製のみたらし団子を売っておられましたが、「すれた女郎もしょんべんちびる」と噂されるほどの美男が幸いして、屋台から店をかまえて、それを元手にしてイギリス商船に乗り込んで、シンドバッドのように成り上がられた。とちまたの噂にうかがっております。
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