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まだ星のあるうちに起きてアトリエの掃除と朝ご飯の支度。起きて来た伯父と皇居に三拝。体操。読経のそばで神妙にしている。読経のあとは、夏の夜明けの川風の座敷で、般若心経の一節の講釈をいただく。と言う生活が始まりました。 伯父は若いころから黄檗山万福寺のご住師に心服しておりましたので、この夏、お供をしてご講話を伺う機会が何度もございました。語り口は違うけれど、みみずく先生と同じお話でございました。
鶏箔は、末弟からしぶしぶ預かった見るからにぼーっと鈍くさい姪が、さすがは商家の娘らしく家事万端しっかりと躾けられていて、案外邪魔にはならないのに気がついてからは、誉め言葉はないにせよ、私には穏やかに機嫌良く、従姉妹たちからさんざん聞かされていた気難しさなどは、ほとんど感じたことはございませんでしたが、写経のおまけだけには、つくずく閉口いたしました。流麗極まりない鶏箔の文字に引き換え、私はいつも鼻の頭に大汗で細筆を握り締めて、なるほど従姉妹たちはこれが嫌いで、ここへは来たがらなかったのか、としみじ思い当たりましたが、人様には、特に目上と殿方には、決して逆らわないように躾けられた私は、毎日素直にいえ午後の退屈しのぎに、幼稚な字体で熱心に写経いたしました。だから般若心経二百七十六文字は、この年になった今でもところどころ覚えておりますが、つい最近、中島小百合がしみじみと申しますには、
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