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その当時のロシアは、日本との「日露戦争」の真っ只中にありました。
戦争により、稼ぎ手を失われた農民は収穫する事が困難であり、ロシアの民衆の全てが食事もままならない生活を余儀なくされていた。
1905年。意を決した民衆は、
「パンを」「平和を」と声を上げ、基本的人権を直接皇帝に求めようと、武力は持たず平和的なデモ行進を行ったところ、警備の兵士に発砲を受け多数の死者を出した。
「血の日曜日」と言う事件です。
直接皇帝に願い出れば、皇帝は聞き入れてくれるのではないか。との民衆の思いは脆くも崩れ去ったのです。
この事件の反響は全国に波紋を呼び、ロシアのいたるところで労働者たちがストライキを農民は蜂起して抗議をするようになりました。
これが第1次ロシア革命です。
この凄惨な世界のすぐ裏には、何不自由無く優雅に暮らす貴族階級の世界があり、舞踏会や晩餐会が華やかに繰り広げられているのでした。
その中には、ニコライ2世一家、アナスタシアも多分に漏れず、こちらの人間でありました。
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