0人が本棚に入れています
本棚に追加
まあ、実際他のお客さん達には少なからず迷惑を掛けていると思う。何しろ授業をやっているわけだから五月蠅い。しかも語学の授業であるからしてぺらぺらと喋る。
賑やかなおばちゃんとか柄の悪いお兄ちゃん達とかもそこここの喫茶店にいるものだが、こと語学教師が使うとなるとそれ以上の迷惑となり兼ねない。五月蠅さというのは単純な音の大小ではないからだ。聞き慣れない種類の音声が、空間にそもそも満ちている自然なざわめきに混じればそれはもう雑音である。日本語と言ったって、習得途中の不細工な発話を他の言語的要素が混じった半端な発音で何度もつっかえつっかえ喋っているのだ。その不協和音振りは馬鹿にならない。
唯、それでも貧乏フリーランスである以上は顧客の要望に応えて授業を熟す他は無い。報酬の安い出張授業では喫茶店を使わざるを得ないのだ。「これも店の名物」なんて言ってくれる店主には心から感謝。お蔭で一年以上も通い続けている。
「ふうん。気を遣うんですねえ」
女の子が珈琲カップにちろちろと口をつけながら頷く。どうもアイス珈琲にした方が良かったのかもしれない。聞けば何度か店内ですれ違っていた事があったそうだ。
「英語がお上手なんですか?」
「いや・・・、からっきしで」
「ええー?じゃあ、どうやって日本語なんて教えるんですか?」
簡単に実例を見せてやる。そもそも英語を話さない外国人は沢山いるぞ。
窓の外からは次第に雨の音が大きく聞こえ始めた。本格的な降りになりそうだ。こんな時だけは、折り畳み傘をいつも忍ばせていて良かったと思う。
「へえ、面白いですねえ。じゃあ、どうやったら日本語の先生になれるんですか?」
「う~ん。そうだなあ・・・。資格はあるけれど、まあ日本語が綺麗な事が一番じゃないかな」
「うん。本当に綺麗な日本語ですものね」
「僕?」
「ええ、そうですよお」
「・・・もしかして、結構五月蠅かったかな」
「たまに。でも、こうしてお話してればすぐに分かりますから」
「すみません」
やはり半分は苦情だったか。何しろ周りに迷惑を掛けている負い目はあるし、内心はいつもびくびくとしながら珈琲を飲んでいるのだ。
しかし、女の子は一瞬きょとんとした表情を見せた後、「まさか!」と可笑しそうに笑った。
最初のコメントを投稿しよう!