0人が本棚に入れています
本棚に追加
「それで、その猫が気に入っちゃったんですか?」
「うん。別れる時も鳴いたんだよ」
「『ありがとう』って?」
「どうかな。でも、手を振ったらちゃんと鳴いたんだ。『ご馳走様』だった気がするけど」
「やっぱり食欲のお話になるんですねえ」
女の子はちょっと頬を膨らませて珈琲を啜る。少し冷めてきて飲みやすくなっただろうか。僕が小皿のクッキーを一つ摘むと女の子も同じ様に手を出した。
「我慢してたんだ?」
「ええ、私はデリカシーがありますので」
全く達者な日本語を使う。そして、どこか甘みのある不思議な発音。小さなクッキーを美味しそうに少しずつ齧る。やっぱり甘いものが好きなのだろう。
それ以来、ここへ来る度に公園の猫を訪ねていた。傘もその頃からいつも持つようになった。
「どうしてか、いつも雨が降るんだよね」
「今日もですね」
「うん。晴れてるなあって思うんだけど、急にぱらぱらくるんだよ」
初めの日はぽつりと雨粒が額に当たる程度だったと思う。殆ど気にした覚えもないので空模様は記憶に薄い。暮れなずむ公園の木立と、あのくりくりしたガラスの目ばかりを憶えている。二度目に会った時は結構濡れたはずだ。
「やっぱり急に降ってきてね。何しろ傘なんて持ってなかったものだから走ったなあ」
「猫ちゃんは置いてっちゃったんですか?」
「あ、うん。クッキーだけ置いて慌てて駅まで走ったよ」
「へえ・・・。寂しかったでしょうねえ」
お腹は一杯になったと思う。
「でも、人が帰っちゃうと寂しいんですよー」
「ふうん」
「猫ちゃんを泣かすから、きっと雨が降るんです」
「ははは。それじゃあこれも野良猫の涙雨ってわけだ」
何しろいつも降るのだから、それでは泣いてばかりという事になってしまう。中でも今日は特別大泣きだろう。窓の外は町ごと包み込むような雨に煙っている。
「猫って泣きたくても泣けないじゃないですか」
そう、人間だけが涙を流す。他の動物は涙を流さない。けれど、
「・・・泣きたい時もやっぱりあるのかな?」
「そりゃあ、ありますよ」
だから、代わりに雨が泣いてくれるんです。女の子はまたクッキーをちょびりと齧ってミルク入りの珈琲を啜る。
最初のコメントを投稿しよう!