猿の葬儀

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 いつもは足首が浸かるくらいのすごく浅い川なんだけど、大雨のせいで腰のあたりまで増水しててね。流れも普段より速かった。岸へ戻るひまもなかったわ。生きてきた中でこれ以上飲んだことないってくらい、水を飲みながら流されていった。死ぬことへの恐怖? 感じなかったわ。それよりも視界の端に見えた百合香の方が気になってた。あの子、目を真っ赤にしながらこっちに向かって走ってきてたわ。そして何か叫んでた。水の音がうるさくて何を言ってるかまでは分からなかったけどね。私が死んだらあの子はどれだけ悲しむだろう、そればっかりを考えてた。弱い子だから一人で暮らしていけるだろうか。それが無理だったとして、両親のもとに戻れるだろうか。いいえ、引っ込み思案でしかもそのくせ強情っぱりなあの子のことだから、きっと家に帰りたい、なんて言いだせないだろう。それなら、あの子はこれから先生きていけるんだろうか。人間って不思議なものね。 一瞬のうちにこれだけのことを考えたわ。そしてこんなことを考えても仕方がないってことも。そう悟った瞬間、私は押し寄せる川の流れに身も心も任せた。そして頭の中で聞きかじっただけの念仏を唱えてた。おかしいわよね。こんなときって、普段神様も仏様も信じていないのに、すらすらとお経の文言が出てくるんだから。  そのときだったわ。黒い影が私の目の前を横切ったの。私の意識も薄れてきていたし、川の水もひどく濁っていたから、その瞬間は何なのかがよく分からなかった。でも、水の流れの中で、それと私が行きつ戻りつしていくうち、それが猿だとはっきり分かったわ。私は安心した。ああ、一人じゃないんだって。そして猿と私は何度もぶつかり合い、そのうち私の意識は完全にこと切れた。  気がつくと私はお腹の下に言いようもない冷ややかさを感じていた。身体も今までよりなんだか軽くなったようだった。何となく、これが死ぬってことなんだな、って思いながら、ゆっくりと瞼を開けた。     
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