足元から響いてくるサンドバッグを叩く音

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しかし、 「夏樹、後は頼む」 春一はリングに手をかけて立ち上がると、ひとりで歩いていこうとする。 泣きそうな顔の冬依の頭をポンとひとつ叩き、やっとの様子で立っている鈴音の方を見ようともせずに、そのまま去っていこうとする。 行かせてたまるかと、 「待てよっ」 再び拳を振りかぶった夏樹を止めたのは、 「――よせナツキ」 秋哉だ。 夏樹の前に立ちふさがり、握った拳の行く末を塞ぐ。 「ハルを行かせてやれ」 「なに言ってんだ秋。春はどっかおかしいんだぜ。行かせられるかよ」 「それでもだ!」 いつもの夏樹なら、秋哉の静止など容易にかわす。 ロナウドみたいな華麗なフェイントでかわし、あっという間に置き去りにして、秋哉が悔しがるのがいつものパターンだ。 だけど、 「行かせてやれ」 秋哉の眼差しに射抜かれて、夏樹は動けなくなった。 そんな弟たちに春一の視線がふと緩む。 知らぬ間に成長した三男をまなじりを下げて見やる。 そういえば緊急時に真っ先に体が動くのは、いつだって秋哉だ。 一番最初に動いて、兄弟の誰よりも体を張る。 それを怪我しないよう見張っていたのも春一だったけれど、 「秋哉、あんまり無茶をするなよ」 もう守ってやれない。 「ハル!」 悲鳴のように呼ぶ秋哉の声を背中に、春一はジムを出て行った。
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