うらぶれた気配ただよう午前中の飲み屋街

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「俺は狂犬じゃねーよ」 前にも同じことを言った気がするが、 「どの面下げて、それを言うんだい」 今度はひとことで否定される。 「そんな顔してさ」 いったい自分はどんな顔をしているというのか。 春一はとっさに顔をそらして、 「あんたと無駄話をする気はない」 強引に話題を変える。 「あんたが乗り出してくるなんて大層だな。よっぽどヒマなのか?」 長島は両手を広げて、 「ああ、そうだよ。キミは相変わらずボクの予想の斜め上を行く」 大げさな仕草だが、ばか高い高級スーツを身につけた長島にはよく似合っている。 外国の俳優みたいだ。 「キミの鼻はたいしたものだ。優秀な猟犬だよ」 「狂犬の次は猟犬かよ」 春一は悪態をつく。 「あんたのそれ、全然褒めてねーからな」 「そう言うなよ。見直したんだぜ」 それからチラリと牙をのぞかせ、 「お前、今からでもウチへ来る気はないか? 待遇は約束するよ」 「俺に、お行儀のいい、あんたの犬になれってか?」 春一はニヤと笑う。 こんな笑い方も久しぶりだ。 「いいけど、あんた本当に俺を使えるのかよ?」 長島は、ピューッと甲高い口笛を吹いた。 「へぇ。いよいよ腹が据わったみたいだね。鈴ちゃんと別れたという話はどうやら本当らしい」 長島の口から鈴音の名を聞いて、春一はビクリと反応する。 少しの間、動きを止めた。 「沈黙は肯定の証か」 長島はくすくすと笑う。 春一が睨むと、 「OK、今はやめておこう」 長島はあっさりと引き下がった。 「そんな話はしなくとも、キミとの約束は果たすよ」
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