第5話

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 そして翌朝も創は家にいなかった。逃げたのだ。宗一郎に拝み屋として翼を外すように言って、当然文句を言うだろう翼から逃げた。創は翼を怒鳴りつけるような事はしない。その代わり、周囲から手を回して翼がそうせざるを得ないように持っていく。仕事で培った狡猾な手段だ。創はそれを息子にも使う。  腹立たしい気持ちで、翼は置き手紙を残す。創がこの家に帰るのは今夜だろう。もう邪魔はさせない。 『菜々子の部屋に泊まるから、連絡してこないで下さい』  菜々子のスマホも切っておく。黙って切れば分かりやしない。  創は翼の意思を無視し、縛り付け、無力であると烙印を押す。  翼に何を出来るかも知らないくせに、何も出来ないと決めつけて、そのくせ翼と向き合おうともしない。  翼は力が欲しい。そして菜々子と一緒にいたい。そのためなら創を捨ててもいいとさえ……思い始めている。  昼前には宗一郎が出勤してきた。相変わらずの暑さに、アーケード街は日曜日とは思えない閑散ぶりだった。どうだった? と訊く翼に、宗一郎は汗を拭いながら小さく笑う。 「初めて見たよ。『柄杓をくれ』……船幽霊ってやつだ。御津の渡しの不具合は、船幽霊が原因だった。なかなか面倒だったけど、どうにか調伏したよ」 「ええっ、あの、柄杓でちびちび船に水汲んで、終いに転覆させるってやつ!? あれホントにいたの!? うそー、俺めっちゃ見たかった……!」  船幽霊と言えば、霧の海に出るという、全国的に聞かれる妖怪である。本当にいたのか。驚く翼に、宗一郎はぐったりと店の奥に向かいながら言う。 「……いたんだよ。さくらがあのセリフを聞きつけてくれたから分かった。小さくて姿もほとんど見えなかったよ。でもこれで、あの小さな渡し船はエンジントラブルを起こさない。悪い翼、俺ちょっと奥で寝るな。いつもの、よろしく。忙しくなったら、起こして……」  そのままふらふらと消えていく宗一郎。翼はその背中にいたたまれない気持ちになる。
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