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すっかり夏真っ盛りの松川には、もう何日も雨が降っていない。からからに乾いた熱い空気が、街を、市民を疲弊させる。
松川は天災に強い街だが、渇水が起こりやすい。元々、降る雨は岩鎚の山を反対側に流れていく構造になっている。ただでさえ水に縁遠い地形な上に、今年は雨が少ない。十数年前の大渇水を思い出し、市民は不穏な気持ちを抱いていた。
あの時は酷かった。部分断水が4ヶ月以上続いた。夜の4時間しか水が出ない生活。不便ながらも一般市民はなんとか生活していけたが、一番困ったのは透析患者だった。透析には、大量の水が必要になる。
近隣の市から、給水車による善意が届けられた。それで多数の腎臓病患者の命が救われた。松川市民は、水の大切さを痛感している。
もう2週間近く雨が降っていない松川市。早くこの地を湿らす雨が降る事を、全ての市民が、熱望している。
「あー宗ちゃんお疲れ。今日もあっついね。ちょっと早いんじゃない? 冷凍庫にアイス入ってるよ。裏で食べれば?」
金曜日の『おみやげの家久』はスロースタートだった。朝から店を開けたのは翼。今日は道前の街自体の客足が鈍い。
8月に入ると、温泉街は急に暇になる。いくら道前温泉が人気の温泉地とは言え、一般的に暑い時に熱い温泉に入ろうと思う物好きな人間は、多くはない。道前には歴史も観光スポットもあるから、8月の温泉街としては栄えている方だと言える。やはりそれでも他の季節に比べれば、客足はがっくりと落ち込む。
だから『おみやげの家久』も朝は一人体制、昼前からもう一人が出勤するというシフトで動いている。エプロン姿で発注書を確認していた翼は、予定よりだいぶ早く出勤してきた宗一郎にアイスを勧める。今日はとにかく、暇なのだ。
「ああ翼……暑いな。て言うかお前、昨夜どこにいたんだ? おじさんから電話があったぞ。夜中の2時に、えらく心配した声で……」
宗一郎は翼の顔を見るなり、カバンも下ろさず咎めるような声で言った。これを言うために早く出勤して来たのだろう。翼は顔をしかめると、宗一郎にごめん、と謝った。
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