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霧が晴れる。
窓の外に見慣れた光景が広がっている。マキナさんは俺の部屋にいた。俺はきょろきょろと周りを見た。机の上にぼろぼろの恐竜図鑑が置いてある。それを見て、二人で安堵の溜息をついた。俺たちは助かったんだ。
靴を脱ぎ、マキナさんから降りる。俺は床にぺったりと坐った。体の力が抜ける。見ると、空はもう暗かった。西のほうに僅かに赤みが残っている。焦点をずらすと、窓に映った自分の姿が見えた。
「ははは」
俺は笑い出した。どうして笑ってしまったのか自分でもよく分からない。急に気が緩んで、自然と声が出た。
「間一髪だったね」
ツキも目を細める。
「ふふ」
マキナさんも笑った。機械とは思えない、人間くさい笑い声だった。
「どうしてマキナさんが笑うんだよ」
「だって、羽揺さんの必死な表情が、あまりにおかしくて」
マキナさんが笑いを堪えるように、つっかえつっかえに言う。俺は彼女にジト目を向けた。でも、二人の楽しそうな様子を見ていたら、また頰が緩んだ。
机に向かい、ノートを開く。
「何を書いているのですか」
マキナさんが尋ねてきた。俺はシャーペンを走らせながら言った。
「今日のことだよ。小説になると思って」
息を飲むような美しい景色のこと。いろいろな姿形の動物のこと。それから、ツキとマキナさんのこと。見聞きしたものが次々と脳裡によみがえる。俺はそれを思い出すままに書き付けていった。
ツキとマキナさんが眠ってしまったあとも、あくびを嚙み殺しながら俺は書き続けた。
涼しい風が頰を撫でた。ふと、顔を上げる。
空高くに月が浮んでいた。昨晩よりちょっとだけ満ちている。網戸から夜風が吹き込み、前髪をくすぐる。そうして、月明りに照された一脚の回転椅子に目がとまる。
この部屋に勉強机は一台しかない。でも、椅子は二脚ある。俺は、自分が腰掛けていないほうの椅子を見つめて、記憶を手繰り寄せた。
小学校低学年くらいの女の子が、足をぶらぶらさせながら回転椅子に坐っている。腰まである長い髪を一本に束ねている。
そのヘアゴムには、青いリボンが付いている。
「飛鳥……俺さ、この五日間のことを長篇の小説にしようと思ってるんだ」
俺は彼女に向って言った。眠い目をこすり、シャーペンを握りしめる。
「俺はまだ短篇しか書いたことがない。でも、きっと完結させてみせる。だから、それまで見守っていてくれるかな」
月明りの下で、女の子が微笑んだ気がした。
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