第4話 日本は海の底

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 俺は恐れおののいて後ずさった。座席の背もたれがガクンと倒れた。  車体はどんどん傾き、ついに天地がひっくり返った。耳元で大きなしぶきの上がる音がする。マキナさんは転覆してしまったんだ。  ノートがばさりと落ち、頁がめくれた。ツキの服やおなじみの道具など、トランクの天井にはいろんなものが散乱していた。ツキも天井に落ちた。頭上でリボンがぴょこぴょこと跳ね回っている。俺の頭に血がのぼった。 「マキナさん、シートベルトを外して」  言いきる前に、俺は落下した。咄嗟に頭を守る。俺は体勢を立て直し、千変鏡をツキに差し出した。  ツキが鏡に寄りかかり、人間に変身する。絹のような白髪を乱して、顔を上げた。  マキナさんのヘッドライトが海中を照していた。甲殻類の幼生がうようよ泳いでいる。 「ツキ、あの眼玉だ」  俺は言った。ツキの背後を見て、肌が粟立った。窓の外に、吸盤の並んだ腕が貼りついている。腕は丸太のように太かった。表面はなめらかだ。それが、マキナさんを包み込むようにして巻きついている。  俺は助けを求めるつもりでツキを見た。ツキは穏やかな表情だった。 「平気だよ。マキナは銃弾を跳ね返せるくらい丈夫なんだから。――さあ、二十一世紀に戻ろう」  ツキがドアに手を添え、彼女に語りかける。  けれど、ツキはドアからすぐに手を離した。頭上のシートが、ずん、と低くなったんだ。  続いて、ドアがゆっくりと歪んだ。車体のあちこちから金属のきしむイヤな音が鳴る。ツキの顔が蒼白になった。  ドアの隙間から海水が入り込んできた。天井に水が溜まってゆく。ひたひたに濡れたノートがその水面に浮んだ。 「マキナ!」  ツキが呼びかけた。彼女のカメラは、もう水の中だった。ぴくりとも動かない。ツキの呼びかけにも応じなかった。 「ツキ、外に出よう。このままじゃみんな溺れる」  水は俺の胸にまで達していた。ドアの隙間から小さな気泡が逃げてゆく。  俺はツキの腕を引いた。壊れていないほうのドアを開け、逃げ出した。
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