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「俺は何をしたらいい?」
目を見てゆっくりと訊ねる。ツキは「うん」と言って、続けた。
「計器盤の右端に緑色の釦がある。それを押してほしい。僕には押す勇気がない」
「わかった」
俺が水に潜るとき、ツキが付け加えた。
「パネルが光ったら、マキナは無事だよ。でも、もしも光らなかったら――」
「言わなくていいよ!」
俺は慌てて止めた。
計器盤まで泳ぐ。と言ってもマキナさんは小さいから、手を伸ばせば指が届くんだけど。
ツキも様子を見に顔を覗かせた。
繰り返すけど、マキナさんは転覆している。計器盤の右端は、向かって左側に移動している。
緑色の四角い釦があった。ツキが固唾を飲んで見守る。俺はそっと釦を押した。
計器盤に光が走った。色とりどりの印が次々と点燈する。水中に立体映像も浮び上がった。上下は逆さまだったけど、そこには日本語でこう書いてあった。
「あと五分寝かせてください」
彼女は無事だったんだ。俺たちは手を取り合って喜んだ。
その時だった。マキナさんが一回転して、もとの姿勢に戻った。触手が巻き付き、車体が軋む。空気がみんな外へ逃げてしまった。
ツキと俺は顔を見合せた。息が続くうちに別の時代へ行かなければ。
ツキがあの独特のリズムでダッシュボードを叩いた。それに合せて、マキナさんが行先を入力してゆく。
足元につるつるしたものが触れていた。俺は下を見て、目を丸くした。ドアの隙間が大きくなっている。そこから、触手の尖端が入り込んでいたんだ。
長い腕が一気に車内へ滑り込む。同時に、マキナさんのドアが外れてしまった。重いドアが海底に向かって落ちてゆく。俺は慌ててドアを拾い、もとの位置へ戻そうとした。
でも、腕の方が素早かった。平たい尖端がツキのふくらはぎに貼りつく。ツキが顔をしかめた。その口から気泡が溢れ出す。
カメラがツキのほうを向いて、止った。
俺は急いでドアを車内に引き込んだ。ドアに触手が挟まる。触手は一瞬で肌の色を変えて、車外に退散した。
(ツキ、死ぬな!!)
ツキを揺さぶる。けれど、目蓋は閉じている。まるで眠っているみたいだ。
そうこうしているうちに、あの動物が戻ってきた。今度はマキナさんを手に取って、車内を覗く。うつろな眼が静かに俺たちを見下ろした。
苦しかった。頭がものすごく痛い。俺も、もう限界だった。
息を吐き出す。
遠のいてゆく意識のなかで、動物の口を見た。軟かそうな皮膚から嘴を剝き出して、俺を喰らおうとした。
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