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「キミ、色々詳しいね。ウィンザール家の人? ええと──」
顔を上げた彼女にアッシュは笑みを浮かべたまま「いち招待客です」と首を振った。それから改めて姿勢を正した。
「申し遅れましたが私はアーシェラントと言います。アッシュと呼んでいただいて構いません。長いので」
「そっか。ボクはネリー。ええと、今日呼ばれてるってことはアッシュもどこか良いとこのお坊ちゃんなんだと思うけど、ボクがここにいたことは秘密にしておいてくれると嬉しいな」
「残念ながら我が家は名家でもなんでもありません。父の中ではいずれそうなる予定のようですが、今はしがない商家です。私もダンスタイムになって逃げてきたようなものですから」
アッシュが肩を竦めて告白するとネリーはアハハと笑った。
「なぁんだ。じゃあボクたちは仲間だね」
「ネリーさんも逃げてこられたんですか?」
「んー。……ね、そのネリーさんってやめよ? さん付けは、こそばゆい」
ネリーの申し出にアッシュは困惑した。察するに彼女の方は本物の貴族のお嬢さまだ。そのお嬢さまを、知り合ったばかりの自分がおいそれと呼び捨てで呼んでいいわけがない。
戸惑うアッシュを前に、ネリーは唇に人差し指を当て何やら考えていた。が、そのうちにその指をピッとアッシュに向けた。
「アッシュ。キミいくつ?」
「十五です。あ、半月後には十六になりますが」
素直な回答を聞いてネリーはにんまりと笑った。
「ボクは十九。年上の言うことは聞くものだよね。はい、ただのネリーだよ」
「年上ならばますます呼び捨てにするわけには……」
「ボクがいいって言ってるんだからいいの。ね、決まり」
強引に押し切られ、アッシュは仕方なく了承することとなった。本当にいいのだろうかと思案しつつも、至極満足そうな顔を見せる彼女にくすりと苦笑を漏らす。可笑しな人だなと思った。可笑しいが微笑ましい。有無を言わせぬ態度なのに決して嫌いな類いの人間ではない。
「そういえば、私たちは具体的にはどの辺が仲間なんですか?」
アッシュの差し出した手に掴まりネリーが立ち上がる。背の高さがあまり変わらないことにギクリとしたがどうやらヒールのある靴を履いているせいらしい。こっそり安堵の息をついたアッシュの顔をネリーが悪戯っぽく覗きこんだ。
「ダンスから逃げてる仲間で、虫のこと語れる仲間」
その瞬間、アッシュは息を呑んでいた。魅入られたと思った。どことなく猫を連想させるネリーの瞳の榛色が、脳裏に鮮やかに焼きつく。
彼女は唇に漂わせていた笑みをすぐ溜息に変えて、自身のドレスの裾をひらひら振った。
「本当はさ、こういう格好あんまり好きじゃないんだ。動きにくいし。けどさすがに今日はね……。父さまがさ、姉の婚約披露会のときくらい着飾れ、なんて言うんだもん。それで高嶺の花を目指せだって。……いくらなんでも無理だよ。ボクより綺麗な人なんて山のようにいるし、別に花になりたいとも思わないし。高嶺の花って言うより、せいぜい壁の花?」
「待ってください……。今、姉のって仰いました?」
アッシュは眉間に指を当て考えこむ。
ネリーの言う通り、今日のこの宴は婚約披露会だ。ルイダーフレット侯の嫡子とシェルテン伯の長女が縁を結ぶことを周知させる会。といっても正式な挙式はまた数ヶ月先の話のようで、シェルテン伯爵令嬢はこれからウィンザール家で花嫁修行に入るらしい。
アッシュの脳裏にシェルテン伯の基本情報が浮かび上がる。何代にもわたり産業の要衝地を治めてきたヴェルマイン家は名門中の名門だった。子どもは上から女、男、女の三人。それでは、この人は。
アッシュは目を見開いた。
「──イルノーレさま!?」
「さまは要らないってば」
「主賓じゃないですか! こんなところにいていいんですか?」
思わず指を差し、叫んでいた。敬称がどうのと言っている場合ではない。〝ウィンザール家の末子が親友〟という縁で招待状を出してもらったアッシュとはわけが違う。
対するネリーの方はケロッとしたものだった。
「主賓だけど主役ではないからね」
「……それ、ただの屁理屈ですよね」
「そうとも言うね」
ネリーがニヤッと笑った。
アッシュは唖然とした。おおよそ良家の子女らしからぬ笑みだった。彼女は人差し指を立て、さも講釈を垂れるが如く口を開いた。
「中の人間はこんなものだよ。ヴェルマインの家名だけが一人歩きしてる感じというか……ボクは動物や植物相手の方が楽しいもん。延々ご機嫌伺い聞くなんてそんなの、退屈で退屈で病気になっちゃいそう」
「病気ですか……同じ主張をする人をひとり知っています。そんなこと言うのは彼くらいかと思ってました」
「へぇ、ボク以外にもいるの? 気が合うかも」
「ウィンザールの四男に会ったことは?」
小首を傾げていたネリーから出てきた答えは、顔は合わせたはずだが会話をした覚えがないということだった。なんとなく想像がついたアッシュは心の中でそっと溜息をついた。そのときのセイルの表情まで目に浮かぶようだ。
「セイルとは長い付き合いですが、おふたりともきっと一瞬で意気投合すると思いますよ」
「じゃあそんな友人がいるアッシュも、ボクと気が合うってことかな」
「私ですか?」
きょとんと見返せばネリーはそうそうと上目遣いに顔を覗きこんできた。そうですね、とアッシュはあごに拳を当てて考えこむ。
「──まあ、ダンスから逃げてる仲間で、虫を語れる仲間ですしね」
途端にネリーが破顔した。可笑しそうに笑う彼女につられてアッシュの口にも笑みが漏れた。
親友の話題を出してもなおまっすぐな瞳を向けてくれるネリーにアッシュがどんな思いを抱いたかなど、彼女にはきっと想像もつかないことだろう。
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