こころのつき。

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「私たち、ずっと大野の家に甘えっぱなしだった。特にたっちゃんの負担は、謝りようがないくらい大きかったと思う。本当にごめんなさい」  将は、あの夜から生活を変えた。  それまで国体選手だった母のひばりと同じく空手漬けだった毎日を道場での短時間の鍛練程度に控え、県外に出るような大会出場をやめてしまった。  そして、出来る限りの時間を吉央に合わせ、寄り添い続けた。  大野家の人々は将の決めたことに表立って口を挟まなかったけれど、母譲りの才能を埋もれさせるには惜しいと、内心思っていたに違いない。 「負担だなんて、なっちゃん大げさだな」 「大げさじゃない。だって、たっちゃんは空手あんなに頑張っていたのに」  悔いても悔いても、悔やみきれない。  でも、何も考えられなかった。  あの家の暗がりが、怖くて。  じっとしていたら、取り込まれて、押しつぶされそうだった。  だから、逃げ出してしまった。  自分ひとり、明るいほうへ。 「・・・あのさあ。なっちゃん」  あくまでも、将の声色は変わらない。 「うん」  視線を上げると、ちょっと上目遣いの将の顔があった。  こういう表情をするときは、頼みごとがある時だ。  それも、ちいさな、ちいさな、可愛らしい要求。 「こんな時なんだけど。頼んだもの、作ってきてくれた?」 「頼んだもの・・・」 「うん。メールでお願いしていた件」 「・・・あ、あああ、ありますあります。持ってきました!」  我に返った奈津美は椅子にまとめていた荷物に飛びついた。 「そんなに慌てなくても」 「いやいや、そもそも、このためにたっちゃんわざわざ品川まで来たのよね!」 「いや、まあ、そうともいうけど・・・」  奈津美に会いたかったのもあるんだけどな、と、将は心の中で笑う。 「はい、これね。どうぞご確認ください」  少し重みのある紙袋をテーブルの空いたスペースに載せた。 「うん、ありがとう」  空になったデザートの皿を脇へ移動させ、自分の前に紙袋を寄せて中をのぞく。 「うん、これこれ」  ものすごく嬉しそうな笑みに、問いかけた。 「それでいいの?しかもホットケーキミックスで作っただけなんだけど」  袋の中にみっしり詰まっているのは、グラニュー糖をまとったまん丸なドーナツたち。 「うん。これを、吉央が食べたがっていたんだ」 「よっちゃんが?」
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