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零弦は浪人の顔を見るや否や、まるで金縛りにあったかのように身動きしなくなった。右手に握った刀をは床にカチャリと落としてしまった。
一体零弦はそれ程何に驚いたのか?
正兵衛はすぐに察した。
浪人の左頬。
大きな痣がある。
梅の花が四つ……例の丸い痣。
零弦と瓜二つの『嘉吉の鍔』の痣に違いなかった。先ほどまでは痣が影に隠れて、正兵衛も零弦も気付かなかったのだ。
襲撃が失敗した浪人は、刀を構え直した。
しかしである。
先程までの勢いは微塵も無い。カチャカチャと刀を震わせるばかり。恐怖で身が竦んでいるというよりも、まるで零弦を斬ることを躊躇している様子にも映る。浪人に向かって正兵衛は問うた。
「名乗れ! 何故、柴原一門に刃を向けてくるか!」
「く、くそっ! 『伝次郎』、許せ!」
正兵衛の言葉など聞く耳持たず。きああああっと声にならない声を上げると、再び浪人は斬りかかってくる。
狙われたのは間違いなく、零弦。
咄嗟に正兵衛が間に入る。刀を交えて剣戟を止めた。
「くっ!」
浪人は顔を歪めた。
一方の正兵衛は冷静さをかろうじて保っていた。襲われたにしても無用な殺生は避けたい。それでも、浪人の取り憑かれたような表情は尋常ではない。既にまともな人間の眼をしていなかった。
止む無く正兵衛は相手の刀を払うと、そのまま力強く斬り上げた。
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