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雨は嫌いだ。湿気で鎧を剥がされる気がする。
窓ガラスが泣いていた。木崎希愛はガラスに映る自分を見ていた。ベースメイクはヨレていないか。マスカラが落ちて目の周りが黒くなっていないか。雨の日はただでさえメイクが仕上がりにくい。小鼻のてかりが気になっていると、雨足が強まった。ガラスに写った自分の顔の上を雨が次々と流れていく。
「だからさあ」
対面で、同じ高校の山本嵐がグラスの氷をつついている。
「人はみな自由なわけだよね?」
希愛は「うん」と応じ、自らのコップに視線を戻した。お冷やである。氷は融けかけ、コップは泣いている。
「他の女子と付き合っちゃいけないとか、おかしいよね? 普遍的なモラルやルールなんてないよね?」
「でも、浮気は間違ってると思う。パートナーを傷付けるから」
「やっぱり価値観が違うんだね」
嵐は無念そうにかぶりを振って両肘をついた。
「俺はね、浮気っていう概念自体がおかしいと思う。常識の枠に閉じ込められてるっていうか。窮屈だよね?」
希愛は答えず、息を殺したままお冷やのコップに唇を寄せた。ぬるくなった水が食道を流れ落ちていく。
嵐は学校一の輝きを放っていた。彼の纏う《自由》の気風がそんな風に見えたのかもしれない。定期試験や部活や進路から解き放たれたように生きる嵐に女子生徒の多くが群がった。何人かが告白して玉砕したのち嵐を射止めたのは希愛だった。しかし嵐は自由だから、希愛と付き合うようになってからも色々な女子と関係を持っているのだった。
「木崎はさあ」
アイスコーヒーを飲み干しながら嵐が言う。
「俺の自由なところが好きって言ったよね? 周りの目を気にしないところがかっこいいって」
「うん」
「したいことしてる俺がかっこいいって言ったよね? しかも、そっちから告白してきたんだよね? なのに被害者ぶるっておかしいよね?」
「かも」
「というかさ、そもそも価値観の違いだよね? いいとか悪いとか正しいとか間違ってるとかじゃないよね?」
それはそうだと思い、希愛はまた窓に目をやる。雨脚は変わらず、雲は低くて鉛色だ。予報では午後から晴れる筈なのだが。
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