拍子鳴

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女は目を覚ました。硬い皮のソファに横たえられている。周りを見渡すと、どこもかしこも本が所狭しと並べられている。値段の札がついているのを見ると、書店のようだ。中には洋書や中国の書もある。造りから見ると洋風の館のようだ。螺旋階段がむき出しになってそのままバルコニーのような二階に繋がっていて、そこにも本が天を突くように高く積まれている。 自分の方に目を落とすと、そこで、着ているものが自分の袴でないのに気づく。そういえば、ここに来るまでの記憶が無い。攫われたか、と云う考えが頭を掠める。 「起きましたか」 不意に男が視界に入ってきた。着流しに煙管、肩まで伸びた髪を一本に束ね、ろうけつ染めの着物、縁のないメガネをかけた男だ。声音は心配そうなのに、表情は全くの仏頂面だった。 「とりあえずこれを。あったまりますから。それと、これも」 「これは…珈琲?それにチョコレイト…高級品じゃないですか!」 「ええ、まあ」 「そんな、頂けません」 「何、余ってるもので。実家が送って来るのですよ。倉庫の肥やしにしてやるのも可哀想でしょう」 しかし、女は口にしない。 岩崎はため息をつき、珈琲を啜り、チョコレイトを齧った。 「え…?」 「ほら、毒はありませんよ」 女は呆けたように岩崎を見つめる。 「どうして」 「貴女、追われてるんでしょう。毒物かどうか気になるのは分かりますが、あまりにも分かりやすいと逆に利用されますよ」 女は何も言わなかった。 「さ、食べてください。雨曝しになっていたのですから、身体も冷えているでしょう」 「ありがとうございます…」 漸くカップに口をつける。 「あったかい…」 ぽろぽろと涙が零れおちる。 岩崎はその様をかき消すように、濃い煙を吐いた。
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