節操なしの純情

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「志織?」  朝の五時。扉を開けると玄関に腰掛けて靴紐を結ぶ見慣れた姿と真正面から鉢合わせた。両親は不在、絶好のチャンスだと思っていたのに、少しだけ帰ってくるのが早すぎたようだった。 「お前さあ……」  ぶつぶつとぼやく兄の伊織は、半分寝ぼけた様子の志織を見て何を思ったのか、結局説教を垂れるのは諦めたようだった。きっちり結い上げられていく靴紐をぼんやり眺める。重たそうなエナメルバックを背負い立ち上がった唯一の兄弟は、一瞬だけ心配そうな表情を浮かべため息をついた。 「学校、遅刻すんなよ」  突っ立っている志織の横をすり抜けて、兄はいつものように家を出た。きっと今日も誰より早く学校へ行って、誰より長く走って、誰より熱心に朝練をするのだろう。  幼い頃、兄は志織以上に女の子らしい顔立ちをしていて、大人たちに大層可愛がられていた。一方、同い年や年上の男の子たちからいじめに近い扱いを受けたりしたことも少なくなかったようだった。といっても、志織が誰かにいじめられそうになる度、庇ってくれる姿ばかりを見てきた彼女がそうした事実を知ったのはずっと後のことだった。  周囲の目が変わったのは、小学生の頃。地元のサッカーチームに入ってから兄は変わった。毎朝早起きして走るようになった。練習の度泥だらけになって帰ってきた。志織よりも白いくらいだった肌が、日焼けで真っ黒になった。ひょろひょろと痩せていた体はしなやかな筋肉を纏うようになり、その振る舞いもどこか堂々としたものへと変わっていった。志織はサッカーをする兄を見るのが好きだった。生き生きとして、楽しそうで。素人の志織にもわかるくらい、兄はサッカーが上手だった。格好良くて、優しくて、サッカーが上手い自慢の兄だった。  兄はサッカーだけでなく、勉強にも熱心に取り組んだ。根が真面目なのだ。幼い頃から兄に守ってもらってばかりで、ふわふわと過ごしていた志織とは大違いだった。両親はいつも兄を褒め、ろくに勉強もしなければ趣味もない志織の不真面目さを嘆いた。優秀な部分は全部伊織が持って行ってしまったのかもね、ある晩、ドアの向こうでそう笑う両親の声を聞いたとき、志織は深く納得した。 『相山のこと、すきなんだけど』  はじめて告白された日、だから志織はひどく驚いた。出来損ないである自分を好きになってくれるなんて。心が高揚した。それは新たな発見だった。
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