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「それじゃあおばあちゃん、
行ってくるね。」
翌朝、すべての準備を整えた蛍は、
遺影の中の祖母に声をかけた。
祖母の形見とも言うべき銀蝶の簪も
リュックの底で出発の時を待っている。
仏壇の前でしばらく目を閉じ、
手を合わせた彼女は、心の中で
祖母へ別れを告げ、立ち上がった。
リュックを背負い、運動靴を履いて
家を後にする。
生まれた時から暮らしていた場所。
自分の成長を、13年の人生を
すべて知っている建物が
だんだんと小さくなっていく。
もう二度とこの場所へは帰って来ない
ように感じて、蛍は何度も何度も
後ろを振り返った。
見れば見るほど、台風で吹き飛ばなかったのが
不思議に思える家。
でもそれは、小さい蛍を今日まで守ってくれた
証でもある。
祖母との思い出の場所が視界から
消えていくのに堪えられず、
蛍は繰り返し足を止める。
その度に引き返そうか、という
考えが彼女の心を侵食した。
(蛍……)
不意に名前を呼ばれ、蛍は辺りを見渡す。
周辺には誰もいない。
その声の主がもう会えない人だと
理解するのに、しばし時間を要した。
(行きなさい。そして貴女の人生を生きなさい。
おばあちゃんはずっと待ってますからね。)
蛍はうつむいた。
その小さな口を開き、自分を諭すように
言葉を吐き出す。
「ありがとう……」
蛍は駆け出した。
もう後ろは振り向かない。
森林の中を走り抜け、これまでにない速さで
山を下る。
自分の人生を歩むべく、蛍は
第一歩を踏み出したのだった。
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