始動

8/13
前へ
/13ページ
次へ
                     ◇  屋敷に隣接した巨大な六階建ての木造建築。一見すれば、世界遺産にも登録されそうな歴史のある仏閣のようにも見えるが、現代に入り改装・増築を重ねている。設備としては冷暖房、最新鋭の防犯装置、エスカレーター・エレベーター完備、と外見の古さとは裏腹の近代的な建物だった。  陰陽寮(おんみょうりょう)本部。  世界各地の(あやかし)が関わる事案を影で取り締まる政府の一部門。その歴史は古く、飛鳥時代――天武天皇の治世にまで遡る。  かの天皇は、自らの国家の起源と歴史を後に残す修史事業を行った。後に『古事記』『日本書紀』へと結実してゆく天皇の活動の中に、『陰陽寮』、そして天体から吉兆を占う『占星台』と呼ばれる施設の創立も含まれていた。現代まで続く『陰陽道』の基礎の形成である。 陰陽寮は、この現代まで多くの陰陽師を輩出してきた日本最大の異能者育成機関とも言われる。もちろん現在でも、陰陽師を育成する学び舎としての側面も失われてはいない。  建物の二階、大講義室。ゆうに二百名は入る事の可能な講堂は現在、多くの生徒でほとんど満員と言って良いほど満たされている。能の舞台を想わせる壇上に立つのは一人の男性。歳は三十代半ば、オーダーメイドの品だとすぐ分かる明るめのブラウンのスーツを優雅に着こなす品のある男だった。身長は一八〇センチほどで、整った目鼻立ちは整っている。特徴的な長髪も相まって女性的な印象を受けるものもいるかもしれない。首には、三つの緑色の勾玉(まがたま)を一つにつなげたネックレスを身に付けている。  西洞院有隆(にしのとういんありたか)。  多くの才ある陰陽師を輩出してきた名家・西洞院家の現当主であった。 『――そもそも鬼などを始めとする妖など、霊的な存在は人間の持つ生命力が弱点である。やつらはそもそもが死者の様なものだからな、生者と死者は相容れぬというわけだ――』 友人同士の私語などが聞こえてきそうなものだが、この教室に限っては見受けられない。皆、壇上の講師の話に耳を傾けている。彼がこのように生徒の前で講義するのは稀な事で、今回は二日間に及ぶ特別授業という形で取り行われているのだ。普段の講師とは違い、現役の、それも当代最高の“陰陽博士”が教鞭を振るうとあって、生徒の関心を引いていた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加