憧れのハル子ちゃんのおうち…「万引き家族」を観て思ったこと

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50年以上前のお話。 家から1時間以上かかるミッション系幼稚園に通わされていた。 「お受験」なんて言葉も無い昭和40年代初め頃。 母は、私を名門のミッション一貫校に通わせたくて その受験を目指してのことだった。 練馬の外れの造成地からバスで石神井にでて そこから園バスに乗り換え杉並区の井荻まで。 私はまだ3歳だった。 父はテレビ業界の仕事。 東京オリンピックから70年のオイルショックまで テレビの急成長期とも重なって景気が良かった。 多分、彼の人生の「花の時代」だったろう。 ただ忙しすぎるのと 酒の量が増えてまともな生活ではなかった。 母も親戚の病院の経理で働いていた。 私を私立学校に通わせる学費は母が捻出していたらしい。 というのも、父は別段、 私を いわゆる「お嬢さん学校」に 通わせる希望は無かったから。 柳橋芸者の私生児として生まれ育った父は いかにも母子家庭育ちの男特有の、 繊細な優しい人だったが 子供の教育に、母のような理想を持ってはいなかった。 健康で優しい女の子に、そんな感じだった。 私は父のそう言うところが好きだった。 しかしは母は、違った。 はっきり理想があった。 妻も子供もあった父と 10年の不倫関係の果て 私生児として私を生み 私が幼稚園に上がるタイミングで かなり強引に入籍した。 そういうファイトは、すごくある人だから、想像はつく。 略奪婚 そういう言葉は当時なかったが、まさしくそれ。 母には負い目と意地があったのだろう。 前妻親子への仕送りは抜かりなかったし 親に反対された結婚だったから 自分の実家や姉妹への見栄が強く 絶対弱みを見せないようにしていた、私以外には…
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