憧れのハル子ちゃんのおうち…「万引き家族」を観て思ったこと

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練馬の造成地、新築のマイホーム。(3年後に手放す) TV業界人の父、オシャレして働くママ、お手伝いさん 私立幼稚園に通う私の家庭は、はた目には華やか? 母は自分もオシャレで、 私を着飾らせるのが大好きだった。 父の家系で手足が長く色白で 目鼻の大きな私の容姿を この上なく自慢にしていた。 銀座や青山まで子供服を買いに行く。 サエグサのワンピース、ヨシノヤの皮靴。 当時、流行った 「秘密のあっこちゃん」のビニールズック靴が どうしても欲しくてねだったが、もちろん却下。 可愛がってくれたお手つだいさんが 自分の財布から買ってくれたことが有ったが 母はこんな下品な靴は履いてはだめ、と すぐ捨てられてしまった。 でも、母の作ろうと努力した 「理想の家庭」は ハリボテだった。 不倫で始まった父と母の関係は、 決してうまくいってなかった。 父は、小学生の子供2人と12歳年上の前妻を 心で、 捨てきれずにいた。 正体なく酔っ払って帰ってくる父、 夜中に繰り返される暴力。 一人っ子の私は、 その喧騒に4歳ですっかり巻き込まれていた。 夜になると、二階の子供部屋から耳をそばだて 物音が聞こえると 転げるように階段を降り、暴力を止めようとした。 しまいには、子供部屋で寝たふりをして 階段の途中まで降りてきて耳をそばだてたまま そこで座ったまま寝るようになった。 お手伝いさんに 夜も泊まって家にいて!と 泣きながら頼んだこともあった。 殴られて顔の腫れた母を 夜明けに氷で冷やしてあげたり 裸足でお迎えの中川さんに 助けを求めて走ったこともあった。 幼稚園で「年中さん」に進級した私は ご飯が食べられなくなり、ガリガリにやせた。 神経性の膀胱炎を繰り返す。 心配した父の姉が 母から私を奪うようにして順天堂の小児科に連れてゆき 神経症と診断された。 母は精神安定剤を 4分の1に割って私に飲ませた。 5歳で! コレって、今考えると虐待ではなかろうか。
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