明るいモンスター?

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 一方食堂へ降りたロベルトとライは、昨日と同じ場所に腰を下ろした。 「何があった」  座って早々にロベルトが切り出した。 「分からない」  端的に、ライが返す。 「分からないってどういうことだ。アレは本気だったのか?」 「本気だよ。エメルダと話したあと、どこで何をして帰ってきたのか……。正直、気が付いたら宿の前にいたって感じなんだよね。何も覚えてないんだ」 「あいつらを誤魔化すためじゃなかったのか……」  深くため息をつき、ロベルトは頭を抱えた。慣れたはずの雨の音が、今はどうも鬱陶しい。  今までこんなことは一度もなかった。  ライは頭がよく、物事をそうそう忘れることはない。一門時代には、五年前にした会話を一言一句間違うことなく暗唱してみせたこともあるくらいだ。  それがどうしたことか、ついさっきのことなのに何も思い出せないという。 「……ぼんやりとも、覚えてないのか」 「全くさっぱりこれっぽっちも不思議なくらいに」 「原因に心当たりは」 「……なくはない、かも?」  曖昧な返答に、顔をしかめる。こういう返答の時は、大体ロクでもないことを言われるのだ。  果てしなく嫌な予感を覚えながら、ロベルトは渋々先を促した。 「んー……一応、後遺症だと思ってる」 「……後遺症」 「そう。長い間の精神崩壊と急激な正常化に脳自体がついていけてないんだ。それによって記憶の混乱が起きてると考えた方がいい。あくまで仮説だけどね」  ライはやれやれと首を振る。その仕草はまるで、些細なことだと言っているようだ。  いや、事実そう思っているのだろう。ライは、自分の身に起きたこの異常事態を異常だなんて感じていない。  楽観的ではあるものの、それは頼もしいことも言える。不安に思っていないのはいいことだ。 「ま、大丈夫だよ。ロベルトもそんなに深刻そうにしてないで。今はほら、ハインリヒのことを考えなきゃ。ボクはどうともないからさ」  へらりと笑うライに、だがロベルトは…… 「大丈夫じゃないだろ」  それが、ひどく不満だった。 「深刻にもなる。何でそんなに平気そうにしてるんだ。昨日、俺に話させたくせに自分は言わないつもりなのか?」  いつもとは一変して強い語調のロベルトに、ライは目をぱちくりさせた。そして、苦笑する。  どうもこの相棒には、仲間のこととなると形振り構わないところがあるらしいのだ。 「まったく、敵わないなぁ……」  くすくすと心底おかしそうに笑って、やがてこう続けた。 「今はまだ、いいんだよ」  と。訝しむ様子の相棒を見てまた少し笑う。不思議なくらいに楽しそうだ。 「覚えていたいことは覚えているから構わないんだ。他の何を忘れてしまおうともね。忘れたくないことだけをきっちり覚えておけば、ボクはボクでいられるから」 「…………」 「だけど、忘れたくないことを忘れてしまったら……それは、怖い。失いたくないものを失う辛さは、もうとっくに学んでいるから」  ふっと遠くに視線を向ける。ロベルトには、それが何を思い出してのことなのか分かっていた。  今、彼が思い浮かべているのは一門のことではない。家族だ。一門に入る前、まだただの商人の子どもだった頃の、本物の、血の繋がった家族。  家族皆で行商し、財を築いていた頃。剣士になるなんて考えもしていなかった頃の家族は、もういない。 「ボクはもう弱くない。皆を守る力がある。でも、だけど……皆を守ったことすら忘れるようになったら……生きていけない……っ!」  昂った感情に任せて悲鳴のように叩きつけられた叫びに、ロベルトは言葉に詰まった。話せと言ったのは自分だが、まさかここまで思いつめていたとは思っていなかったのだ。  元々、ライは精神的に脆い一面がある。今回のことはその脆いところを突く結果になったのだろう。  気持ちを吐き出したことで少し落ち着いたのか、あの不自然な笑みは鳴りを潜めていたが、顔色はあまりいいとは言えなかった。  ライはぐしゃりと髪を乱し、不安からか呼吸をわずかに荒くしながら俯く。自分を落ち着かせているのだろうということは、すぐに分かった。 (……もう少し、考えてからやればよかった)  救出作戦の折、助けたいという一心で、ロベルトは魔生体を破壊した。だがそれは、現在に至ってライを苦しめる原因になってしまった。  少しずつ解除していれば、これは起こらなかったかもしれない。  罪悪感に苛まれながら、ゆっくりと口を開いた。 「大丈夫。お前は何も忘れない。例え忘れても、俺が思い出させるから。……ごめんな、こんなことになって」 「……ロベルトは、悪くないよ。ありがとう」  柔らかく微笑んだライにロベルトも笑みを返し、そうして二人は連れ立って食堂を出た。
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