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story 155 邂逅
悲しみなんて、誰にとっても平等だ。
痛みだってそうだ。
だからこっちのほうが悲しいとか、そんなもんで図れるものじゃない。
そんな地獄の中で、ただ邪魔な奴を憎んで殺すことしか出来なかった俺と、例え憎んだとしても、なんとか耐えて違う人生を歩んでいた彼女。
本当ならもうそれだけで、既に二分されている。
もう、そこで俺たちの道は既に違えていたんだ。
後悔なんてない。
それなのに、どうしようもなく自分の過去を恨んだ。
自首をしたいと、彼女に伝えたあの日。
振り返らないと決めたのに、それでも彼女の涙が浮かんで、振り返ってしまった俺の目に映ったのは、見もしない女の姿だった。
その女の表情や手にしていたものに、ただならぬ雰囲気を感じて、彼女の名を叫ぶ。
その瞬間、女が彼女に向かって走り出した。
女の手には、ナイフが握られている。
俺は自身の体を女と彼女の間に滑り込ませるようにして、彼女を抱きしめた。
間に合ったようで、彼女の身体は無傷だった。
ほっと安堵したのも束の間、俺の背に、鋭い痛みと生暖かいものが溢れ出す。
薬で何度も殺しをしてきた。
血を流して、死んでいく人間だって、目にしたこともある。
因果応報。
自業自得。
最初から本当は、こうなるはずだったんだ。
その報いが、今、返ってきただけ。
最初は組織の人間かと思ったが、女の言葉で田崎の婚約者だと分かった。
きっとあいつのことだ、分からないように精巧に隠してきたに違いない。
音声データーだって、間違いなく回収したはずだった。
それが、この有様。
「彼は、行方不明なんかじゃない。あんたたちに殺されたんだって!」
女が必死に叫んでいる。
それは、叫びに近いような怒号と憎しみの声だった。
当然だ、最愛の人間を命令とはいえ、俺たちに殺されたのだから。
女の口ぶりから、組織については分かっていないようだったが、端から狙いは実行犯である俺だったのだろう。
そして、俺のかけがえのない存在になってしまっている彼女。
頼むから、頼むから彼女だけは...
そう祈るような思いで、口を開いた。
俺は、どうなってもいいから、彼女だけは...なんて安い映画にでも出てきそうな陳腐な台詞。
でも、本当にどうなっても良かった。
俺の罪に、贖いが訪れたのだと思ったから。
でもそれを受け止めるのは、俺一人で十分。
罰を受けるのは、俺だけでよかったんだ。
ここまで巻き込んでおいて、手放さずにいたのも自分だが、彼女にはもう何も背負って欲しくなかった。
ただ隣で、幸せそうに笑っていてくれれば、それで良かった。
でも、そんな彼女が、
「殺してください。」
女に殺して欲しいと乞う。
俺は、目の前が真っ暗になった。
自分は、殺されたって構わない。
それだけのことをしてきたのだから。
でも、彼女は、
「やめて、く、れ」
お願いだから、やめてくれ!!
やたらと鼻につくガソリンの匂いに、どうにか堪えながら俺は口を開いた。
でも必死に懇願する俺の声も手も、彼女には届かない。
ただ一緒にいたいと、そう言ってくれた彼女。
結椏の暖かい手が、俺の頬に触れた。
そうじゃない。
そんなことを、望んだわけじゃない。
俺は、俺は、お前を、
「お願いします。」
もう一度、はっきりと口にする彼女。
視界は朧げだが、それでもきっと覚悟を決めた彼女の顔は、何よりも綺麗なんだろうと思った。
結椏、
結椏、
頼むから、
女の影が、動いたのが視界の端に映る。
どうにか女と彼女の間に入ろうとするが、体は愚か指一本、動かすことすら今の俺には出来ない。
辺りに飛び散った血しぶきに、絶望しか感じられなかった。
彼女が刺されたのだと、そう思ったから。
でもバタッと勢いよく倒れたのは、目の前の女のほうだった。
上からは、どうしてという彼女の声が降ってくる。
ああ、彼女は、無事だったのだ。
それが分かった瞬間、俺は意識を手放した。
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