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story 156 邂逅
悪夢みたいな情景の中、俺が再び目を覚ますと、変わらない地獄がそこにあった。
唸るような寒気と痛みに目を覚ませば、彼女は俺を背負って、外に出ようしていた。
でも力の入らない俺の体は重く、彼女の小さな体では、外に出るだけで、かなりの時間を要するだろう。
そしてその間に火がついて、建物全体が爆発する可能性も、ゼロでは無かった。
自身の体も、もう助かる見込みは、限りなく薄いだろう。
自分の身体だ、それくらいは医者でなくても予感できた。
でもそれだけじゃない。
寒さと溢れ出す血の多さに、意識を保っていられるのも、きっと今のうちだけだと悟る。
「俺、をはこ、ぶのは、無、理だ。」
「無理じゃない、何が何でも連れて行くから!」
「そう、じゃ、ない、」
でもそんなこと、今の彼女には言えなかった。
結椏は、どうにかして俺を助けようと必死になってくれている。
だからこそ、俺は、
「これ、は、通信、きに、なって、る、」
俺は、彼女に自身の指輪を渡した。
それは、母親がまだまともだった頃に、俺に買ってくれた誕生祝いの指輪だった。
かっこつけて、黒がいいと強請った指輪。
でもそれが俺にとっては、肌身外せないものになっていた。
イヤーカフは、俺があとで買ったもの。
特に意味なんて、なかった。
もちろん通信機になっているなんて、真っ赤な嘘だ。
「助け、をよ、べ、」
そう言った俺の言葉に、彼女は大きく頷いた。
「分かった。すぐに、呼んでくるから少しだけ待ってて。絶対絶対帰ってくるから!」
そう言って、視界に走り去る彼女の姿が映る。
これで、いい。
きっとすぐにバレてしまう嘘だとしても、今この場所から彼女が離れられれば、それで十分だった。
この場所には、ガスのタンクや液体の入ったタンク多く並んでいる。
婚約者というあの女が、そこまで考えていたのかは分からないが、今の現状で火がついたら最後、例え刺されなかったとしても、助かることは不可能だろう。
きっと炎は、あっという間に俺たちを飲み込む。
ガスにでも引火すれば、一瞬で何もかも吹き飛ぶのは想像に容易かった。
「あ、」
``愛してる``
俺は、最後に、彼女にそう言った。
愛してる。
だから、生きて欲しい、と。
掠れた言葉しか出なかったが、それで良い。
自身にとって不釣合いな言葉だとしても、今言わなければ、この先はきっともうない。
だから俺は、精一杯の思いをこめて、そう彼女に伝えたかった。
届かないことも、承知の上で。
いなくなった俺に彼女は、涙するだろう。
たくさんたくさん泣いて、嘘をついた俺を憎むのかもしれない。
でも、それでもいい。
大切な君が、生きていてくれれば、それだけで。
俺は震える手で、最後の力を振り絞って、ポケットに手を入れた。
そこには、馴染みの定食屋のマッチが入っている。
挨拶をした日に、忘れるなよと手渡されたもの。
皮肉だよな、まさかこんな時に使うはめになるなんて。
マッチの棒を一本取り出す。
まるで、マッチ売りの少女みたいに、この一本に全てをかけていた。
時間がない。
早くしないと、彼女が戻ってきてしまうかもしれない。
最期の瞬間を、彼女と迎えることが出来なかった。
でも、それで良かった。
これが犯罪者としてふさわしい死に方だ。
何より自身の死に様を、彼女に見られたくなかった。
俺は、母親の死から逃げた。
でもそのおかげで、母が今もどこかにいるようなそんな気にさせられたから。
「ごめんな、結椏。」
もう泣いている君を、抱きしめてやることが出来ない。
やっとやっと、触れられたのにな。
俺は何とか力を振り絞って、箱の隅を棒でこすった。
でも力の入らない俺の手では、そう簡単に火は点かない。
もう一度、そう思って棒をこすりつける。
早く、とそう願う俺の耳に、
「そうは、させないよ。」
誰かの声が聞こえてきたかと思うと、俺は、再び意識を手放した。
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