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その甲斐あってか私は順調に歳をとり、結婚をし子供を産み、孫が生まれた。
そして私はいま病院のベッドに横たわっている。
これが因果というものか、私が寝ている原因はあのときの老婆と同じ胃癌だ。
もう外を自由に歩ける体ではないということは看護師をしていた自分にはよくわかる。
大丈夫だ。
きちんと日記は処分したし、遺影として納得のいく写真もいくつかある。心ばかりの遺産も残すことができるし、これで娘夫婦に介護の心配をさせることもない。
しかしなぜだろう。
これほどまでに自分の美学に近い"死"を迎えられそうだというのに、死にたくないと思ってしまう。
それは娘と何気ない昔話をしているときであり、孫が学校で描いた絵を持って来たときであったりする。
もっとこの子たちの側で成長を見ていたい。
あのときの老婆も同じ気持ちだったのだろうか。
しかし死は待ってくれない。確実に近づいている。
何か、何か出来ることはないだろうか。
ああそうか、美しい"死"とは最後まで懸命に生きようと願った末にあるのか。
生きることを諦めた末の死はきっと美しくない。私の美学に反する。
私は間も無く死ぬ。
まだ生きていたいと思いながら死ぬ。
これだけ幼い頃から"死"について考えて来た私だが、癌という日本人としてはさして珍しくもない死因で死ぬことになる。
私はこの癌という病気に感謝しようと思う。これだけ"死"ばかりを考えてきた私に初めて"生"を考えさせてくれたのだから。
ああ死にたくない。
けれどもう迎えが来てしまった。周りには夫と娘夫婦と5歳になる孫がいる。
みんな泣いている。こんな私のために泣いてくれるのか。ありがとう。ありがとう。
私はきっと幸せだ。こんなにも死にたくないのだから。この子たちが死ぬとき、死にたくないと思ってくれるといい。そう思った瞬間、体がふわりと浮くような感覚がした。
ピーっという音が病室に響く。医師の冷静な声。娘の泣き叫ぶ声。
自分で自分を見下ろした。
なんて幸せそうな死に顔なのだろう。
そして思った。
これは世界で一番美しい"死"だ。
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