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思えば物心ついた頃から死んだ後のことを考えていた。 幼稚園児のときはテレビで幼稚園児が痛ましい事故や事件に巻き込まれ死亡したとの報道を目にすると、これが自分だったら周りはどんな反応をしただろうかとかきっとお母さんは涙が枯れてしまうだろうとか考えているような可愛くない子供だった。 中学校に上がる頃にはもっと"死"というものを身近に置くようになった。 写りの良い写真が撮れると、今のところの遺影はこれがいいかな、と思ったし、自分が急に死んだとしても死後恥ずかしい思いをしないように(そもそも死んでから恥ずかしい思いをするというのは違うような気がするのだが当時は本気でそう考えていた)小学校の頃に書いた自作の小説を処分したり、日記には見られても構わないような内容を書いたりしていた。そもそも日記というのは他人に見せるつもりはないが、万が一見られたとしても自分が必要以上の恥をかかないように書いているものだと思う。話がそれたが、中学生の頃はいつ死んでもいいように準備をしていたしそれが当たり前だとすら思っていた。特に死ぬ予定はないがいつ死んでもよい。そんなことを思う、相変わらず可愛くない子供だった(自分のことは十分大人だと当時は思っていた)。
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