吾輩はニャーである。名前はまだ無い。

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「おめでとうございます!」 多分妙齢のご婦人の晴れやかな声で吾輩は目を覚ました。途端に辺りの騒がしさと明るさに吾輩は目を回す。見覚えのない場所であった。昨日うとうとと意識を手放した時には数週間前からの定位置であったはずなのだが。うーむ、と考え込む吾輩をそっちのけで妙齢のご婦人はびにいるの袋に包まれた吾輩を目の前の人物に差し出した。 その御仁と目が合った瞬間にウニャーッ!と叫び出さなかった吾輩を誰か褒めてくれないだろうか。その御仁は幽霊のようであったのだ。くたびれた鼠色の背広に青白い顔。目の下には黒々とした隈。歌舞伎役者も吃驚するであろう傑作だったのだ。 しかもだ、ご婦人から少々荒っぽく吾輩を受け取った彼は吾輩をじいっと穴の開くほど見た後でこう言ったのだ。 「わー、不細工。……いや、ブサかわと、は、言えねえや」 吾輩、ブサかわなる言葉は知らぬが不細工という言葉は知っている。吾輩、今度はウニャーッと叫び出した。人間には吾輩の声は聞こえないと知っていてもこのことには異議を申し立てるぞ! ふと吾輩を別の顔が覗き込む。 「うわ、でもこいつお前そっくりじゃん。目の周り黒いのとか、ふてぶてしい顔とか」 にゃっ、にゃんと!吾輩は不覚にも動揺した。吾輩がこの御仁とそっくりだとは……。いや、やはり吾輩はきゅーとでらぶりーなぬいぐるみとしてそれだけは断じて認めぬぞ。……うむ、何かの間違いだ。 吾輩はその御仁から目をそらす。ぷいっとそっぽを向いた吾輩のぷらすちっくの目にこちらを見つめる妙齢のご婦人が映った。ご婦人は人の輪から離れたところで独りで座っていた。吾輩の周りにいる人々は先程から酒を煽って、赤い顔で話したり笑ったりしていたのだが、彼女はひとりだけ違うように見えた。心がここにないような。熱っぽい視線。ひとりだけ異質だった。吾輩は気になって彼女の元へと行こうとした、のだが。1歩足を踏み出したところでつるつるとしたびにいるに吾輩のふわふわの足が取られてすってーん、と物の見事に机から転がり落ちたのだった。 「背中から落ちる猫がいるか、普通?どんだけどんくせえんだよ」 まったくもって幽霊の御仁の言う通りであった。吾輩はつまみ上げられながら肩を落した。
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