9人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ
1 天から降臨しかぶき者
「ま、まことに、このような美しい男で・・?」
読売を手に取った留伊は、挿絵に釘付けとなった。
一緒にいた弟の吉川豹太郎が、
「たいがい、そう描くのですよ。でなければ、売れませぬ」
常識だと言わんばかりに、横から冷めた声を出したが、
「まさに美丈夫」
まるで耳に入っていない様子で、うっとりと絵を眺め、はぁ~と桃色の吐息をついた。
「男の俺でも、ホレボレするような顔立ちだ」
さらに客を呼び込むため、読売屋の為吉が、わざと周りに聞こえるよう、必要以上に大きい声を出した。
「一人は、獲物をとらえた鷹のように鋭い眼光。悪を許さぬ正義に燃えた瞳」
「騙されてはいけませんよ、姉上」
「それで・・?」
「そんでもう一人はな、切れ長の涼しい目つきだ。しかも、腰まで垂れた茶色い髪。血が通っているとは思えねぇほど肌も白くて、背筋がゾクッとするほど、色気がある」
「まぁ、なんと・・」
「だから、誇張していますよ、姉上」
「本当に、こんな形だったの?」
留伊が読売に目を落とした。
「目撃した人物から聞いた。一人だけじゃねぇ。何人も見てる。ど派手な形を・・。それはな・・」
月明かりに照らされ、血のように紅い色彩を放っていた。
紅い羅紗の陣羽織に、衿は天鵞絨。小袖は、黒地に白抜きの蜘蛛の巣柄。緋色の細い博多帯は、腹切り帯だ。
「それは、鷹のように鋭い眼光のほう?」
「ああ、そうだ。それでもう一人はな・・」
小袖が、山吹色と黒の片身替。
衣服の片身ずつが異なった布地で、左右の色がまったく違う。柄はもう一人と同じで、白抜きの蜘蛛の巣柄。
鹿革の細帯には、三方手裏剣が仕込んである。さらに、薄い桜色の被衣を、頭の上から覆っていた。
被衣とは、江戸時代の初期、武家の女が外出するときにかぶっていた小袖である。
「もしかしたら、探している人かもしれぬ」
「違いますよ。姉上が言っていた人相とは、かなり違うではありませぬか? それに、このような派手な形をする、お人ではないのでしょ?」
「豹太、今、誇張しておると、自分で言ったばかりではないか? 派手な形を差し引いた姿こそ、本来の、あのお人なのだ」
「・・」
「強いのでしょ?」
留伊が為吉に聞く。
「ああ、二人そろって強いのなんの。店に押し入った盗賊どもを・・」
「盗賊どもを・・?」
「瞬殺だぁ、瞬殺!」
為吉が声を張り上げた。小気味よく、喉仏が上下に動く。
日本橋小伝馬町、三丁目の裏通り・厩新道にあるその店は、
「虱退治薬で有名な、あの幸手屋だぁ。幸手屋が狙われた。虱退治はお手のものでも、虱のような奴らには、歯が立たねぇときたもんだっ!」
極端な抑揚の節回しに合わせ、首から下げた三味線に、勢いよくバチを叩きつける。
冴え渡った音色に、日本橋を往来する人々が、何事かと足を止める。
すると、ますます為吉の舌は滑らかになり、
「天から降臨しかぶき者が、鬼畜に劣る悪党どもを、それこそ声も上がらぬうちにやっつけたぁ。屋根から飛び下りながら、同時に二本の手裏剣を急所に放つ離れ業。刀を持った紅いかぶき者は、下りた勢いそのままに、一人を袈裟懸。地に足が付いたその瞬間、すかさず左手で抜いた脇差で、もう一人の喉笛を下から掻っ斬るという早業。宮本武蔵もびっくりの二刀流だぁ」
為吉の首筋が、玉汗で光る。
読売の売り方は人によって様々で、坦々と事件や災害の事実を口上するだけの売り子もいれば、三味線を弾きながら、歌を唄う売り子もいる。
それは一種の見世物であり、歌のうまさや、三味線の伴奏の面白さが商売を左右する。
そしてまた、売り子の見た目も、売れ行きを左右した。
そもそも読売というものは、内容によって売り子が捕まり、版元が営業停止処分を受けることがある。出版は規制が厳しく、幕政批判はもちろん、心中事件ですら、記事の影響で同じことをする者が後を絶たず、禁じられている。
そうはいっても、大衆が食いつくのは、刺激的で面白い話。だから売り子は自衛策として、頬かぶりをしたり、編笠で顔を隠したりする。
ところが女どもは、内容もさることながら、顔の良し悪しも吟味の対象とする。
売り子が編笠を深々とかぶっていても、下からチラリとのぞき込む。たとえうっとりするような美声でも、見てくれがまずいと買ってはくれない。
商売とは、まことに厳しいのである。
為吉は歌こそ唄わなかったが、得意の三味線で人を惹きつける。
男振りはよいと、勝手に思い込んでいるから、商売道具の一つとばかり、おおっぴらに面を出す。もしお役人が来れば、俊足を活かすつもりであった。
ちなみに、瓦版と呼ぶようになったのは幕末からで、それ以前は読売と言われている。
「文政のかぶき者だぁ、かぶき者!」
老若男女が食いつく、久々においしい話の種だった。一風変わった豪傑の出現は、売る方も気合が入る。
為吉は読売の束を持ち、竹の棒でポンポンと叩いて見せた。事件の中身なんてどうでもいい。強調したいのは、二人の奇抜な外見だ。
「チッ、・・ったく大げさだよなぁ、毎回」
十ほどの、いかにも生意気な顔つきをした童が、しゃぶっていた棒飴を口から出した。為吉の弟、源太である。
「さぁ、早いもんがちだぁ。残りは少ないよ」
為吉が軽く嘘をつくと、あちこちから手が襲うように伸びてくる。
五十枚ほどさばいて、人の群れが途絶えると、
「買うのか、買わねぇのか?」
源太が、読売を握ったままの留伊を見上げる。
「これなら、一両でも買うわ」
「じゃあ一両でいいぞ」
ニンマリした悪童が手のひらを差し出すと、慌てて豹太郎が巾着を開き、四文をのせる。
「行きましょう、姉上」
豹太郎が、留伊の袖を引っ張る。
二人がその場を立ち去ると、すれ違いざまに、一人の若い侍が為吉に近づき、黙って四文を差し出した。
藍色の帷子に、同色の袴を身に着けている。地味すぎる色合いで、一見、風采が上がらぬように見えるが、服装に着崩れはなく、袴のひだも折り目が整っている。
凛とした佇まいには、ひとかどの武芸や学問を修めた者が発する、自信のようなものが感じられた。
受け取った読売の絵を見るや、かすかに眉根が寄る。
端正な面立ちで、十人いれば十人が、
「堅物そうな・・」
性格を言い当てるほど、生真面目さが顔ににじみ出ていた。軽口などとても叩けそうにないと、誰もが思うところだが、ガキはおかまいなしで、
「カネを粗末に扱っちゃあいけねぇ」
下世話な話に使うなと言いたいのか、源太はいっぱしの口を利く。
為吉は、慌てて弟の口を手でふさぎ、
「へへっ、子供の言うことなんで、許しておくんなせぇ」
愛想笑いで頭を下げた。
「それもそうだな」
二十五とは思えぬほどの、落ち着いた声だった。
最初のコメントを投稿しよう!