1 天から降臨しかぶき者

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1 天から降臨しかぶき者

「ま、まことに、このような美しい男で・・?」  読売を手に取った留伊(るい)は、挿絵に釘付けとなった。  一緒にいた弟の吉川豹太郎(ひょうたろう)が、 「たいがい、そう描くのですよ。でなければ、売れませぬ」  常識だと言わんばかりに、横から冷めた声を出したが、 「まさに美丈夫(びじょうふ)」  まるで耳に入っていない様子で、うっとりと絵を眺め、はぁ~と桃色の吐息をついた。  「男の俺でも、ホレボレするような顔立ちだ」  さらに客を呼び込むため、読売屋の為吉(ためきち)が、わざと周りに聞こえるよう、必要以上に大きい声を出した。 「一人は、獲物をとらえた(たか)のように鋭い眼光。悪を許さぬ正義に燃えた瞳」 「騙されてはいけませんよ、姉上」 「それで・・?」 「そんでもう一人はな、切れ長の涼しい目つきだ。しかも、腰まで垂れた茶色い髪。血が通っているとは思えねぇほど肌も白くて、背筋がゾクッとするほど、色気がある」 「まぁ、なんと・・」 「だから、誇張していますよ、姉上」 「本当に、こんな(なり)だったの?」  留伊が読売に目を落とした。 「目撃した人物から聞いた。一人だけじゃねぇ。何人も見てる。ど派手な(なり)を・・。それはな・・」  月明かりに照らされ、血のように紅い色彩を放っていた。  紅い羅紗(らしゃ)陣羽織(じんばおり)に、(えり)天鵞絨(ビロード)。小袖は、黒地に白抜きの蜘蛛(くも)の巣柄。緋色(ひいろ)の細い博多帯は、腹切り帯だ。 「それは、鷹のように鋭い眼光のほう?」 「ああ、そうだ。それでもう一人はな・・」  小袖が、山吹(やまぶき)色と黒の片身替(かたみがわり)。  衣服の片身ずつが異なった布地で、左右の色がまったく違う。柄はもう一人と同じで、白抜きの蜘蛛(くも)の巣柄。  鹿革(しかがわ)の細帯には、三方手裏剣が仕込んである。さらに、薄い桜色の被衣(かずき)を、頭の上から覆っていた。  被衣とは、江戸時代の初期、武家の女が外出するときにかぶっていた小袖である。 「もしかしたら、探している人かもしれぬ」 「違いますよ。姉上が言っていた人相とは、かなり違うではありませぬか? それに、このような派手な(なり)をする、お人ではないのでしょ?」 「豹太(ひょうた)、今、誇張しておると、自分で言ったばかりではないか? 派手な形を差し引いた姿こそ、本来の、あのお人なのだ」 「・・」 「強いのでしょ?」  留伊が為吉に聞く。 「ああ、二人そろって強いのなんの。店に押し入った盗賊どもを・・」 「盗賊どもを・・?」 「瞬殺だぁ、瞬殺!」  為吉が声を張り上げた。小気味よく、喉仏が上下に動く。  日本橋小伝馬(こでんま)町、三丁目の裏通り・(うまや)新道にあるその店は、 「(しらみ)退治薬で有名な、あの幸手(さって)屋だぁ。幸手屋が狙われた。虱退治はお手のものでも、虱のような奴らには、歯が立たねぇときたもんだっ!」  極端な抑揚の節回しに合わせ、首から下げた三味線に、勢いよくバチを叩きつける。  冴え渡った音色に、日本橋を往来する人々が、何事かと足を止める。  すると、ますます為吉の舌は滑らかになり、 「天から降臨しかぶき者が、鬼畜に劣る悪党どもを、それこそ声も上がらぬうちにやっつけたぁ。屋根から飛び下りながら、同時に二本の手裏剣を急所に放つ離れ業。刀を持った紅いかぶき者は、下りた勢いそのままに、一人を袈裟懸(けさがけ)。地に足が付いたその瞬間、すかさず左手で抜いた脇差(わきざし)で、もう一人の喉笛を下から掻っ斬るという早業。宮本武蔵もびっくりの二刀流だぁ」  為吉の首筋が、玉汗で光る。  読売の売り方は人によって様々で、坦々と事件や災害の事実を口上するだけの売り子もいれば、三味線を弾きながら、歌を唄う売り子もいる。  それは一種の見世物であり、歌のうまさや、三味線の伴奏の面白さが商売を左右する。  そしてまた、売り子の見た目も、売れ行きを左右した。  そもそも読売というものは、内容によって売り子が捕まり、版元が営業停止処分を受けることがある。出版は規制が厳しく、幕政批判はもちろん、心中事件ですら、記事の影響で同じことをする者が後を絶たず、禁じられている。  そうはいっても、大衆が食いつくのは、刺激的で面白い話。だから売り子は自衛策として、頬かぶりをしたり、編笠(あみがさ)で顔を隠したりする。  ところが女どもは、内容もさることながら、顔の良し悪しも吟味の対象とする。  売り子が編笠を深々とかぶっていても、下からチラリとのぞき込む。たとえうっとりするような美声でも、見てくれがまずいと買ってはくれない。  商売とは、まことに厳しいのである。  為吉は歌こそ唄わなかったが、得意の三味線で人を惹きつける。  男振りはよいと、勝手に思い込んでいるから、商売道具の一つとばかり、おおっぴらに面を出す。もしお役人が来れば、俊足を活かすつもりであった。  ちなみに、瓦版と呼ぶようになったのは幕末からで、それ以前は読売と言われている。 「文政(ぶんせい)のかぶき者だぁ、かぶき者!」  老若男女が食いつく、久々においしい話の種だった。一風変わった豪傑の出現は、売る方も気合が入る。  為吉は読売の束を持ち、竹の棒でポンポンと叩いて見せた。事件の中身なんてどうでもいい。強調したいのは、二人の奇抜な外見だ。 「チッ、・・ったく大げさだよなぁ、毎回」  十ほどの、いかにも生意気な顔つきをした(わらべ)が、しゃぶっていた棒飴を口から出した。為吉の弟、源太である。 「さぁ、早いもんがちだぁ。残りは少ないよ」  為吉が軽く嘘をつくと、あちこちから手が襲うように伸びてくる。  五十枚ほどさばいて、人の群れが途絶えると、 「買うのか、買わねぇのか?」  源太が、読売を握ったままの留伊を見上げる。 「これなら、一両でも買うわ」 「じゃあ一両でいいぞ」  ニンマリした悪童が手のひらを差し出すと、慌てて豹太郎が巾着を開き、四文をのせる。 「行きましょう、姉上」  豹太郎が、留伊の袖を引っ張る。  二人がその場を立ち去ると、すれ違いざまに、一人の若い侍が為吉に近づき、黙って四文を差し出した。  藍色(あいいろ)帷子(かたびら)に、同色の(はかま)を身に着けている。地味すぎる色合いで、一見、風采が上がらぬように見えるが、服装に着崩れはなく、袴のひだも折り目が整っている。  凛とした佇まいには、ひとかどの武芸や学問を修めた者が発する、自信のようなものが感じられた。  受け取った読売の絵を見るや、かすかに眉根が寄る。  端正な面立ちで、十人いれば十人が、 「堅物そうな・・」  性格を言い当てるほど、生真面目さが顔ににじみ出ていた。軽口などとても叩けそうにないと、誰もが思うところだが、ガキはおかまいなしで、 「カネを粗末に扱っちゃあいけねぇ」  下世話な話に使うなと言いたいのか、源太はいっぱしの口を利く。  為吉は、慌てて弟の口を手でふさぎ、 「へへっ、子供の言うことなんで、許しておくんなせぇ」  愛想笑いで頭を下げた。 「それもそうだな」  二十五とは思えぬほどの、落ち着いた声だった。
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