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夜雨があがれば 弐
夢を見ていた。
君と二人で訓練したこととか。
君と二人で話したこととか。
君と二人で愛し合ったことか。
君と二人で笑い合ったこと。
そんな苦しかった日々の中で、たった一つだけ輝いていた日々のこと。
まだ忘れてないよ。
まだ信じてるよ。
君との約束。
今度会うときは。きっと、きっと… 。
怒声、罵声、銃声、そして激しい雨音で、私は眼が覚めた。耳鳴りがひどい。体のあちこちが鈍く痛む。強張った体をほぐすすように軽く身を捩ると、ガチャリ、と鎖が擦れる音がした。
外が騒がしい。どんな状況なのだろう。目隠しをされ拘束され小屋に閉じ込められている私には、外の様子はわからない。でも、聞こえてくる音からすると、戦闘が起こっているのは確かだ。
私からの連絡が途絶えて、この場所の制圧を前倒しにしたのかもしれない。仲間が命を懸けて戦っているかもしれないのに、拘束されたままの私には鳴り響く銃声に身を竦ませることしか出来なかった。
しばらくすると、足音が聞こえてきた。だんだんと近づいてくる。私は一層と息を潜める。
いつもこの音を恐れていた。捕虜の私に用があるのは、私で憂さを晴らしたい人だけだった。人、というよりは獣だ。人の知能を持って、獣のように私を殴り、蹴り、痛め付け、拷問し、そして凌辱した。
足音が途切れ、ぎぃ、と扉が開く音がした。一段と雨音が大きく聞こえる。
「お前… 」
そして、声が聞こえた。
私を呼ぶ声。
懐かしい、私の心を穏やかにする声。
間違うはずがない。私の彼。私が愛した君の声。
雨に濡れた冷たい手が、私の頬に触れる。
そして、目隠しが解かれた。
久々の光が私の目を刺す。
初めは朧気だった視界も次第に鮮明になる。やっぱり、君が助けてくれたんだね。
その事実が、更に私の心を満たした。
脳裏に浮かぶのは君の顔。
あの人懐っこくて柔和な、春の陽射しのような笑顔。
やっと、君の顔に焦点が合う。
でも、そこには、私の思い描いた笑顔は無かった。
潰れた蟲を見るような
干涸びたミミズを見るような
明らかな嫌悪の眼差しを私に向けていた。
「僕の部隊の仕事は敵陣地での諜報だったことは知ってるよな」
君は話し始める。
何も分からないまま、私は話を聞く。
「危ない橋をいくつも渡ったが、一度も足を着けるようなヘマだけはしなかった。それが、僕たちの誇りだった」
そして、彼は腕を伸ばし私の胸ぐらを掴んだ。食い込んだ首枷のせいで私は思わず咳き込んでしまった。
それでも構わず、君は話を続ける。
「… なのに、僕たちの部隊は壊滅した」
何の… 話をしているの。
「敵に情報が漏れてたらしい。最後は蟻を踏み潰すように呆気なかったよ」
君は泣いていた。
涙を拭うこともなく。
悲しみを堪えることもなく。
憎しみを隠すこともなく。
ただ泣いていた。
「… 喋ったんだろ…」
え… 。
「お前が、喋ったんだろ」
違う… 違うよ。
私は何も喋ってないよ。
確かに拷問されるのは痛かったよ。
玩具にされるのは辛かったよ。
でも何も喋らなかったよ。
耐えたんだよ。
「お前が喋ったんだろ!」
君の爪先が私の腹部にめり込む。
それと同時に痛みと吐き気が私を襲った。
食事なんて何も与えられてない。
吐けるものなんて何もないはずなのに私は嘔吐いた。泣きながら嘔吐いた。
違うよ… 。
私、耐えたよ…。
耐えたんだよ… 。
みんなの為に。
君の為に。
君との約束の為に。
我慢して、いっぱい我慢して。
私、耐えたんだよ…。
「自分可愛いさに、僕たちの命を売ったんだろう!」
私の服を捲ってみてよ。
傷だらけだよ。
痣だらけだよ。
火傷だらけだよ。
君が綺麗だって褒めてくれた私の体も、もうグチャグチャに汚されたんだよ。
それでも、耐えたよ。
ちゃんと耐えたんだよ、私。
口枷のせいで何も話せない。
目線だけで君に必死に訴えかける。
でも、今の君に私の思いは通じなかった。私はひたすら君に殴られ、蹴られ続けた。
拘束されている私に、逃げ場所なんて無い。私はただ、されるがままに君の暴力を受け入れた。
暫くすると、君は私を痛めつける手を止めた。
いつの間にか周りの銃声は聞こえなくなり、雨の音と二人の荒い息遣いだけが聞こえる。
「言い訳くらいならさせてやるよ… 」
君はやっと口枷の存在に気づいて、口枷に手をかけた。
やっと、まともに息が出来る。
口腔に溜まった血の塊を吐き出し、呼吸を整える。
噛み締めた歯が痛い。
何を言えばいいのか。
どうすれば誤解が解けるのか。
今の頭では、何も考えられない。
駄目だ。何か話さなきゃ… 。
でも、発しようとした言葉は全て、掠れた息となって口から溢れていった。
何も話さない私に苛立った君は、また私を蹴った。
「なぁ… 」
君は私の髪を引っ張り、私の耳に口を近付けた。
「お前は、僕たちの命を売ってまでも生きたいのか」
その一言で、私の中の何かが弾けた。
君とまた会いたかったんだよ。
君との約束、守りたかったんだよ。
その為に必死に生きたんだよ。
今ならまだ守れるんだよ。
約束。二人の約束。
果たせるんだよ。
君は… 覚えてないの …。
「そんなに、自分の命が大切か!」
床に叩きつけられる。
そっか、私だけ。
私だけ、必死にその約束にしがみついてたんだ。
勝手に期待して。
勝手に高望みして。
勝手に絶望して。
君を悪者みたいに仕立て上げちゃったんだね。
「 な… さい… 」
掠れて声にもならない、君に捧ぐ懺悔の言葉。
「… ごめん… なさい」
勝手に期待してごめんなさい。
勝手に高望みしてごめんなさい。
勝手に絶望してごめんなさい。
君を悪者みたい仕立て上げてごめんなさい。
「… ごめんなさい… 」
捕まってごめんなさい。
君と再会できてごめんなさい。
死ななくてごめんなさい。
生きてて、ごめんなさい。
「…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
私は壊れた機械のように謝り続けた。
私が謝って君が満足出来るなら、それは当然の事だと思ったし、私の命が続く限り謝り続けなければだめだと思った。
だってこれが、私にとって唯一の君の為に出来ることだから。
「仲間はみんな死んだ! 今更謝っても遅いんだよ! 」
そして、君は壊れた機械のように私を痛めつける。
骨の折れる感覚。
肉が千切れる感覚。
内蔵が潰れる感覚。
骨の破片が内臓に刺さる感覚。
痛い。
気持ちが悪い。
辛い。
でも大丈夫。
私、まだ我慢できるよ。
どうせ今まで散々痛めつけられて来たんだし、君が満足するまで我慢できるよ。
だって、君との約束。果たしたいから。
私が我慢し続けたら。
君が満足してくれたなら。
二人の約束。果たせるよね。
また、二人であの頃みたいに笑い合えるよね。
それは私の配属される部隊が決まった時だった。君は諜報部隊の配属で、敵と一番近い場所で周囲を欺きながら生きなければならなくなった。
君とも、もう暫く会えなくなる。
出発間際、落ち着かない私を励ます為に君が言ってくれた約束。君と離ればなれにならないための道しるべ。
「一つ約束をしてくれないか?」
記憶の中の君は笑う。
懐かしい、胸の奥が暖かくなる笑顔。
「どんな約束…」
私は震える声で尋ねる。
君は私の手を握り、こう答えた。
「これから、苦しいことや辛いこと、悲しいこと。沢山あると思う。でも、どんなことがあっても… 」
君はより一層強く手を握る。
私はこの約束のお陰で今まで生きてこられた。
この約束が、私に生きる力を与えてくれた。でも…
今は…
「どんなことがあっても、絶対に、生きて、また二人で笑い合おう」
「… うん!」
記憶の中の二人は笑った。
本当に幸せそうな、満ち足りた顔で。
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