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◆◇◆◇
エンヤ・クラウディの住む町には、死神に纏わるこんな伝承がある。
――人が天寿をまっとうすると、葬式までに死神が雨と共に天から舞い降りて、死者の魂を雨雲に乗せて天に還す。
そして、三代続く棺桶工房を営むエンヤの家にも、死にまつわる噂があった。
町の北側、迷路のように入り組んだ小路の行き止まり。住宅街から随分と外れた区画に佇む一軒の工房の中から、トンカンと小気味よい金槌の音が鳴り響く。
すると、決まってその音を聞きつけた町人が仏頂面で工房を遠巻きにして、野次を飛ばした。
「おいおい、死神様御用達のクラウディ工房が、新しい棺桶を拵えてやがるぞ」
「クラウディの棺桶だ。きっと、死神は今頃、新しい棺を使おうとウズウズしてるに違いない」
「こりゃあ、近い内に死者を迎える雨が降るな。"雨乞いをしたくば、クラウディに棺桶を作らせろ。命乞いをしたくば、クラウディに棺桶を作らせるな"ってな」
「まったく。棺桶屋なんざ、人の死で儲けてるようなもんだ。卑しいったらない」
工房の中まで聞こえるよう、町人達はわざと大声で囃し立てる。
彼らの野次を聞く度に、工房の中で作業中のエンヤは、馬鹿なことを、と鼻を鳴らし、彼らの所業に呆れた。
エンヤがこの職に就いたのは、ただ、祖父の代から続く工房を継いだだけに過ぎない。要は成り行きだ。
だが、彼はこの職業に対し、不服に思ったことは今までに一度もなかった。
何故なら、棺桶工房で職人として働けば、労力に見合った稼ぎを得られるのみならず、研鑽を積んだ分だけ技量は磨かれ、それが実力へと繋がるからだ。
実直に働き、努力を怠らなければ、日々の暮らしをつつがなく営むことができる。
それを可能にする仕事は、どんなものであれ尊いものだとエンヤは思っていた。
しかし、この町の住人の大半は、殊に棺桶職人という仕事に関しては、そうは考えていないらしい。
この町の住人は、とにかく死を忌み嫌う。
若者は、あらゆる負のイメージが付き纏う"死"を、辛気臭いと言って嫌う。
年寄りは、かつて、この町を壊滅寸前まで追い込んだ疫病により、大勢の者が惨たらしい有り様で息絶えるのを目の当たりにしたせいで、特に死に怯えている。
彼らの抱く、抗いようのない死への不安は容易く凝り固まり、やがて、死を不浄なものと位置づけた。
そして、死の象徴たる屍に関わる職業に就く者――棺桶職人や墓守に偏見を抱き始めたのだ。
町人は彼らに、"不浄な死すらも食い物にする不埒な輩"という不名誉なレッテルを貼り、果ては、"奴らと知人になれば、死神に紹介される"と悪評や、不条理な難癖をつけて毛嫌いしだした。――虐げられる彼らに、なんら罪はないにも関わらず。
幼い頃より、棺桶職人の家族というだけで他者から非難を受け続け、それに堪えてきたエンヤが、工房の外から聞こえる野次にいちいち耳を貸すことはない。
だが、向けられる悪意を鬱陶しく思うのも事実なので、町人から虐げられる度に、常にこう思ってきた。
くだらない妄念にかまけ、実直に仕事を熟す者を虐げる暇があるのなら、いついかなる時に最愛の者が死の国へ旅立とうとも後悔のないよう、かの者と共に過ごす方がまだ賢明なのに、と。
そうして、かの者が召された時に初めて、入り組みすぎて迷路となった小路の果てまでエンヤを訪ねればいい。
最愛の者との別離に嘆き、死を身近に感じてボソボソと怯えつつ工房の戸を叩けば、棺桶はもう手に入れたも同然だ。
エンヤはその知恵と腕を以ってして、要望通りの棺桶を誂えるだろう。
その実直な仕事ぶりを窺えば、この職業に憧れる事はないかもしれないが、棺桶職人を蔑んで然るべきものとは思わない筈だ。
(まあ、この町の連中相手にそんなこと考えたって仕方ない。ああ、外の連中が煩いったらない。雨でも降らないかな)
彼は釘を板に打ち付けながら、胸中で降雨を祈る。
エンヤは雨が嫌いではない。
単調なテンポを刻む雨垂れと、雨の奏でるシンプルな音色は、作業中のBGMにもってこいだし、なにより、雨は野次馬を払ってくれる。
稀に、雨の中でも悪口を唱え続ける者はいるが、雨音がそれを打ち消すのだから、エンヤにとっては良いこと尽くめだ。
しかし、彼の期待に反して、窓越しに見えるのはどんよりとした曇り空。
雨はまだまだ降りそうにない。
エンヤはため息をひとつ吐き、無心になって金槌を振るう。
棺桶作りに熱中すれば、無駄なことを聞かずに済むから。
皮肉なことに、周囲がエンヤを非難すればする程、彼は仕事に熱中し、洗練された素晴らしい棺桶をまた一つ作り上げるのだった。
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