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 とある雨の日のこと。クラウディ工房に一人の少女が訪れた。 「ボク、レイニー。キミ……ええと、ミスター・クラウディ? いい仕事をするんだね。ねえ、雨宿りがてら、見学していいかい?」  出会い頭、愛嬌たっぷりに見学を頼みこむレイニーに、エンヤは思わず面食らう。  何故なら、ここを棺桶工房と知りながら、不気味がる気配もなく、屈託のない笑顔をこの少女は向けてくるのだから。  こんな無垢な笑みを、ここの町人がエンヤに見せることは皆無に等しいだろう。  だが、この第一印象からして不思議な少女は、どうやら、エンヤが想像する以上に奇妙な人物らしい。  まず、エンヤがこの奇妙な訪問者の存在に気付いた時、彼女は工房のすぐ外にいて、上等な服が汚れるのも厭わず、雨に濡れた窓に張り付き、中で作業をするエンヤの仕事ぶりをつぶさに見詰めていたのだ。  町の連中に忌み嫌われているこの棺桶工房を、こうまで熱心に覗く変わり者など、エンヤが知る限り他にいない。  次に気になるのは、その風体だ。  雨の中では、内側に星空が描かれた蝙蝠傘を差し、烏のように真っ黒な異国風のポンチョコートを着用していたのだが、その雨具の下に隠れていたのは、マニッシュな喪服だった。 「アンタ、それを着ているってことは、ひょっとして、一昨日亡くなった靴屋の爺さんの葬式に参列するんじゃないのか?」 「まあね」  エンヤが尋ねると、レイニーはエンヤが先程組み立てたばかりの棺桶を、何故かうっとりと眺めつつ頷く。  不可解なのは、(棺桶に見惚れる様子もさることながら)レイニーが現在葬式が執り行われているであろう教会ではなく、そこから正反対の場所に位置するこの棺桶工房にいるということだ。 「ボクね、道に迷うのが趣味みたいなもんでさ。気付いたら、ここに辿り着いていたんだよ。まあ、式には顔を出すだけでいいし、遅れても平気。雨宿りくらい許してよ」 「『雨宿りくらい』ね……」  レイニーの発言をぼんやりとオウム返ししながらエンヤは頬を引き攣らせる。  何故なら、彼の目の前では、レイニーが棺桶に頭を突っ込んでいたからだ。 (不思議な……というか、奇天烈というか……なんなんだ、コイツ)  服装や土地勘のなさ、そして、棺桶工房や職人への偏見が一切見られないことから、レイニーがこの町の住人でないのは明らかだ。  だが、いくら偏見がないとはいえ、それなりに物事の善し悪しの分別のつくであろう年頃の娘が、棺桶を目にして、死肉を啄む烏かハイエナのような真似をするだろうか。 (雨が降って、野次馬は寄り付かなくなったが、代わりに変なのが来たもんだ)  エンヤは目の前の客の珍妙さから、つい、彼女を工房からつまみ出したくなった。  エンヤがレイニーを追い出そうかと思案している傍らでは、彼女がそんなこととは露知らず、上機嫌で独りごちる。 「迷子になってみるものだね。こんな、迷路みたいな町にここまで腕の立つ棺桶職人がいるなんて、誰が思う? 実にいい仕事だ。なんて綺麗なんだろうね」  彼女が視線で余すことなく撫ぜるのは、熟練の技で斑なく塗られた、艷やかな漆黒の棺だ。  その内部には、たっぷりとギャザーを寄せてゴージャスに見せた、光沢のある真紅のサテン地が敷かれている。  エンヤが闇夜に映える紅の薔薇をイメージして作った棺だ。  自分の作ったものを綺麗だと評されたことは喜ばしいのだが、エンヤの心はなぜかしら晴れない。  この町の連中のように、棺桶というだけで不気味がられるのも癪だが、レイニーのように手放しに褒めちぎられるのもなんだか不気味なもので、どうにも複雑な心境なのだ。 「なあ、それは棺桶だぞ。何故、そこまで関心を寄せるんだ?」  確かにこの棺桶は渾身の出来栄えだが、これは芸術品でもなければ家具調度でもなく、その上、生者には縁遠い代物だ。  果たして、この少女はどんな思いで棺桶を見詰めているのか、その答えをエンヤは固唾を飲んで待つ。  それに対するレイニーの返答は、意外なものだった。 「これがベッドだからじゃないか」  ――ベッド。  それを聞いたエンヤは、あまりに不可解な返答に眉を顰めた。 「アンタ、吸血鬼なのか?」  彼女の発言から、御伽話や伝承に聞く、人の生き血を糧とし、棺桶を寝床にするという架空の種族が連想され、エンヤは思わず問うてしまう。  するとレイニーは、ニヤと口角を上げた。 「キミ、案外、冗談好きなんだね。いいかい、ミスター。ベッドと棺桶は同義だよ。ただ、使用者が生者か死者の違いでしかない。  ボクがこんなに棺桶に興味を示すのは、キミの施す仕事があまりに芸術的だからだ。こんな最上級の棺桶にどんな者が眠るのか、想像して楽しんでいるんだよ」  ポンチョコートからおもむろに取り出した水筒の口を開け、果実の甘酸っぱい匂いのする中身で喉を潤しながら演説するレイニーを見て、エンヤは曖昧に苦笑を浮かべる。  棺桶からその使用者の妄想をする彼女の趣味の悪さに引くと同時に、彼女の言に些か興味が湧いたのだ。  彼女の理論でいくと、墓は死者の家、墓職人は建築業者、墓守は管理人と云えるのだろう。 (じゃあ、棺桶職人の僕は、家具職人ってことか)  なかなかにウィットに富んだ喩えである。  もし、エンヤが本当に家具職人をしていたら、町人からつまらない偏見を向けられずに済み、もっと心穏やかに過ごせたろう。  ありもしない夢想に一笑し、エンヤは工房の奥に赴き、コーヒーを淹れる準備をする。  客に接待のひとつでもしなければ、とレイニーの持つ水筒を見て、初めて思いついたのだ。
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