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 ――ねえ、ミスター。  止むことを知らず、ザアザアと鳴り続ける雨音に、レイニーの呼び掛けが混じる。  エンヤが振り向くと、彼女は棺桶の傍ではなく窓辺に佇み、雨に煙る町を眺めていた。 「ボクはここに辿り着くまでに町の方々を彷徨ったから、町人達のキミへの噂も知っているんだ」  雨濡れの薄暗い窓ガラスに、少女のアンニュイな表情が映る。 「ミスター・クラウディにひとつ尋ねるよ。キミはこの町の者の為に棺桶を誂えることを、本当に誇れるかい?」 「……」  レイニーの質問は、エンヤには答え兼ねる代物だ。  暫しの間、二人は黙し、雨の音とコーヒーの薫りのみが工房を支配した。  その沈黙を破ったのは、エンヤがコーヒーを注ぐべく出したマグカップだ。  コトリとマグカップを置く微かな音が工房内に響き、それをきっかけにレイニーが意気阻喪して頭を垂れる。 「ゴメン、差し出口だった」 「……なあ、コーヒー飲むか?」 「苦いのは……ゴメン」 「カフェモカならどうだ?」 「頂戴するよ。有難う」  奥に向かって礼を述べたレイニーは、暫くエンヤの後ろ姿を見詰めて、それから雨音に紛れるほどの小さな声で謳うように呟いた。  ――死は尊く、死者への弔いに携わる者達の魂はいずれも気高い。    死と、かの気高き者達を尊ぶことを忘れた者の末路はいずれも酷たらしく、この地の者はそれを識るというのに、尚、怯えを理由に愚行を続ける。    父なる神はこの愚か者共を憐れみ、怯えへの救いを与えんと、終焉の使いをやった。 「聖書か黙示録のようだな」 「そんなとこだね。やあ、キミ、本当に器用だね」  エンヤが差し出したカップには、こんもりと乗ったフォームミルクの表面にリーフが描かれていた。  今朝挽きたてというコーヒー豆で淹れたカフェモカは薫り高く、レイニーの舌に甘く苦く広がっていく。 「僕は仕事に戻る。アンタが邪魔をしないというのなら、時間の許す限り、雨宿りしていけばいい」  そう言って、男の無骨な指が流麗な仕草で壁を指さす。  その先には、見本として展示されている棺桶が所狭しと並んでいて、レイニーは顔を綻ばせる。  無礼を働いたのに追い出されず、工房の見学を許されたことが嬉しかったのだ。 「ねえ、ミスター。ボクは仕事の邪魔も、さっきのような無粋な質問ももうしない。だから、またここを訪ねてもいいかい?」 「好きにすればいい」  エンヤのぶっきらぼうだが快い返答にレイニーは微笑むと、おもむろに腕に引っ掛けていた蝙蝠傘を手にし、さて、と声を上げた。 「再会の了承を得たところで、残念ながらおいとまする時間が来てしまったようだ。美味しいカフェモカをご馳走さま、ミスター・クラウディ」 「そうか。またのお越しをお待ちしております」  最後くらいきちんと接客しようとエンヤが慇懃に挨拶すれば、それを聞いたレイニーは、今更だね、と笑い、それからなにやら思いついたらしく、姿勢を正した。 「エンヤ・クラウディ、覚えておいてほしい。ボクの名はレイニー・リーパー。どんな穢れも洗い流す清めの雨を従えて、この世に長く留まる魂を天に還す役割を担う、正真正銘の死神さ。  次にキミと会う日まで、どうか息災で」  なんの冗談だ?  そうエンヤが一笑しようとした瞬間、目の前が黒に染まる。  その黒がレイニーの広げた蝙蝠傘の色だと気付き、押し退けようと傘に手を伸ばす。  だが、傘はエンヤの手を擦り抜けて煙のように消え、その持ち主であるレイニー・リーパーもまた、いつの間にやら消えていた。  窓枠にはカフェモカが入っていた空のマグカップを、床には【ごきげんよう、ボクの誇り高き友人。キミに死神の加護を】と水で書かれたメッセージを残して。
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