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 レイニー・リーパーが棺桶工房を訪ねた翌日から、エンヤの住む町には快晴が続いた。――幾日も幾月も。  "人が天寿をまっとうすると、葬式までに死神が雨と共に天から舞い降りる"という伝承がある町なのに、どんな年配者が大往生を遂げても、雨が降る気配は一向にない。  快晴はやがて日照りになり、日照りはやがて水不足へと繋がった。  水がなければ、生物は生きてはいけないものだ。  渇水が長期化すれば衛生状態を保てなくなるし、水分の摂取が滞れば生死に関わる。  実際、エンヤの住む町も、不衛生な状態が続き、病人が急増した。  節水や断水をしても、枯渇する水源は後を絶たず、水を求めて町を去った住人も多い。  そうして、どういうわけか、水を渇望する者の中には、エンヤを訪ねる者もいた。 「おい、クラウディ、棺桶を作って雨を降らせろ」  ――雨乞いをしたくば、死神御用達のクラウディ工房に棺桶を作らせろ。  そんな、野次から派生した謂われのない雨乞いの噂を頼りに、町人は身勝手にもエンヤに縋ったのだ。  ただ、その頃には既に、エンヤは多くの棺桶を拵えていた。  水不足により病に伏す者が増えたのみならず、死者までもが続出し、早急に多くの棺桶が必要になったのだ。  死者が急増し、棺桶が完成した端から使われていく現状で、以前のように手の込んだ棺桶は作れない。エンヤ一人で仕事を負うには、あまりにも荷が勝ち過ぎた。  そうして苦肉の策で作られたのが、装飾の省かれた簡易式の棺桶だ。  それが工房の中に山となって積まれているのを見た訪問者は、水の渇望による苛立ちもあり、エンヤに八つ当たりをした。 「こんな箱、死神が気に入るものか。死神が訪れなければ、雨も降らない。棺桶も満足に作れないとは、棺桶職人のクラウディの名が廃るな。この役立たずが!」  その罵倒を耳にした瞬間、かつてエンヤが答えあぐねた死神の質問が脳裏に閃く。  ――キミはこの町の者の為に棺桶を誂えることを、本当に誇れるかい?  今なら、迷いなく答えられる。  無理だ。  一心不乱に金槌を振るい、エンヤは棺桶を拵える。  それは簡易式のものでも、ましてや雨乞いの為のものでもない。  ある人の為の最上級の棺桶を、エンヤは仕事の合間に作った。  棺桶を作りながら考えるのは、自分がこの町で棺桶職人を続けていた理由だ。  この町には昔、病死後の屍を適切な処置もせず、いい加減な場所に投棄したのが原因で、疫病が爆発的に蔓延した過去がある。  エンヤの祖父が棺桶を作り、一人ひとり死者を丁重に弔ったところ、疫病の伝染が食い止められ、町の壊滅は回避されたのだ。  ――自分の生まれ育ったこの町を守る為に、私は棺桶を作り続けるよ。  祖父の信念は、工房と共にその息子や孫――エンヤの父やエンヤに継がれ、どんなに町人に蔑まれようと、その信念がある限り、工房が畳まれることはなかった。 (だが、それももうやめだ)  職人の誇りともいえる腕を存分に振るって作るのが、故人一人一人に合った棺桶でなく、ただの箱にしか見えない簡易式の棺桶なのは、現状では仕方のないことだ。  町人から虐げられるのも、今に始まったことではない。  だが、役立たずとだけは、どうあっても言われたくはなかった。  それを言い放たれた瞬間、エンヤがなかなか手放せずにいた、生まれ育ったこの町への情は消え失せた。  彼が唯一心穏やかに過ごせる雨の時が訪れない町になど、いる意味がない。  漆黒の棺に彫り込むのは、雨をモチーフにした模様。  内部に敷き詰めたのは、夜空を思わせる瑠璃色のビロード。金糸と銀糸で星の刺繍を施した。  この棺桶を使うのを許されているのは、唯一人。レイニー・リーパーその人だ。  だから、星空を描いた蝙蝠傘を手に、雨と共に現れる彼女に似合いそうなデザインにした。  レイニーは去り際、また工房に来るようなことを告げたが、結局、この日照り続きからもわかるように、彼女はまだこの町に訪れていない。 (あいつのことだ。またどこかで迷って、棺桶を見つける度に寄り道してるんだろう)  レイニーが何処かの地を彷徨っている間に、エンヤはこの町を捨てる覚悟を決めた。  いつになるかは知らないが、彼女がここに辿り着く頃には、工房はきっともぬけの殻になっていることだろう。  だが、それでは折角訪れた彼女があまりにも不憫だ。  だから、詫びの印に、この棺桶を残すことにした。 (あと、棺桶を評価してくれたことと、加護とやらのお返しだな)  なんだかんだ考えたが、評価されたことは嬉しかったし、町人が次々と倒れる中でも、エンヤが健やかに過ごせたのは、きっとレイニーの加護のお陰なのだろう。  健康でいられたことへの礼が、死に縁のある棺桶だなんて、笑いぐさもいいところだが。  かくして、エンヤ・クラウディは、工房に死神の為の棺桶を残してこの町から去った。  棺桶職人を失い、死者のベッドとも云える棺桶を用意できなくなった町は、再び屍を粗雑に扱いはじめる。  結果、それが原因で辺りに腐敗臭が漂うのみならず、かつて町を襲った疫病が再び発生。  レイニーが雨を引き連れてふらりと工房を訪ねた時には既に、町から人は消え失せていた。  自らの棺桶を納めただけでは物足りないレイニー・リーパーが、美味しいカフェモカを飲みたくて、エンヤ・クラウディを追ったかどうかは、神のみぞ知ることである。
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