PROLOGO

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 不意に。  白い腕が、一気に身体から離れた。  虫除けの煙を察知した虫のように一斉に二手に別れると、アルフレードの身体を明け渡し寝台の下へと這って逃げた。  足の上に、黒いドレスの女がいた。  無数の手が逃げたのは、この女のせいだろうか。  アルフレードは、失いかけた自我をやや取り戻し、ぼんやりと考えた。  寒気がするほどの美しさだった。  小振りの顔に、長い絹糸のような黒髪。  滑らかな白い肌に、目尻の上がった黒い瞳。綺麗に通った鼻筋、真っ赤な唇。  女は、アルフレードの身体の上を、足の側から胸の方へ、しずしずと歩いた。  重さは感じなかった。  胸の上に立て膝になって座ると、アルフレードの顔を覗き込んだ。 「死神か……?」  アルフレードは言った。 「死神なら頼む。少しだけ待ってくれないか」  女は、無言でアルフレードの顔を見ていた。 「なあ、頼……」  突然。  女は高々と手を振り上げたかと思うと、アルフレードの頬に、平手打ちを食らわせた。  パァン、と大きな音が響いた。 「な……」  鉄紺色の目を見開き、アルフレードは声を上げた。  何をするんだ、そう言うより先に、女はアルフレードにずいっと顔を近付けた。 「下僕が勝手に喋るんじゃない、うるさい」  美しくも鋭いソプラノの声が響いた。 「げぼ……?」  アルフレードは、そのまま起き上がらん勢いで声を上げた。  意識は完全に戻った。 「私はこれでも、それなりの家の者だ。他人(ひと)の下僕になる謂われなんかない」  女は再び顔を近付けた。 「決闘で死んだ者は、わたしの下僕と決まっておる」 「決闘なんかしてない」 「わたしの名はベルガモット」  話を聞け、と内心で喚きながらアルフレードは(もが)いた。 「下僕の要望は、なるべくなら聞こう」  ベルガモットとやらは、深紅の唇の端を僅かに上げた。 「優しいであろう」  人をいきなり下僕扱いして、平手打ちを食らわせる女の何が優しいのか。  ベルガモットは、どこからともなく首輪取り出した。  古風な旋律の鼻歌を歌いながら、アルフレードに首輪を付ける。 「は? おい君! やめろ!」 「行くぞ」  ベルガモットは構わずに立ち上がった。  アルフレードの胸を踏みつけるようにして、長い長い鎖を両手で扱う。
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