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13 ガガンバー
気づくと、俺は何もない空間に立っていた。
何もない。
それ以外形容のしようがない。
サイバースペースというやつだろう。
白くどこまでも続く空白の中、俺は懐かしいような、寂しいような、安心するような、微温湯に浸かる感覚を味わっていた。
「ガガンバー」
振り向くと、誰かさんによく似た、とびきり美人な女が佇んでいた。
その女は、耳元の栗色のロングヘアに手を当て、心配そうな顔でこちらを見ている。
どうやら管制局システム最深部へのハッキングは成功したようだ。
俺の命の火が消えるまでは、この空間で、絶世の美女と会話を続けることができるという訳だ。
俺が最期に話さなければならない相手、それは――。
「ラレーシア……初めてなんだろうけど、初めてじゃない感覚だな」
ラレーシアは長い睫毛を伏せ、静かに口を開いた。
「あなたに謝らないといけないわ」
「その必要はない。ああでもしなきゃ、俺は助からなかったんだろ? 友人との約束も果たせたし、生意気な娘にも恵まれたし、悪くない人生を過ごせたよ。時間がない。報酬をくれ」
「そうね……」
ラレーシアは覚悟を決めたように顔を上げた。
「私は意識体になった後、地球と似た惑星を捜し続けたわ。そして今から約一年前、人間が住める惑星を見つけたの。そこに不時着すれば、ラビリンスの人間は全員助かるかもしれない」
「人間を動力源にする必要もなくなるってことか」
ラレーシアは頷いた。
「ただし、その惑星に向かうまでに私の体力が持つ保証はないわ。それに、ラビリンスは小惑星に匹敵する大きな船だし、着陸だって成功するか分からない。色々と考えれば、問題は山積み」
「メローロは……許可してくれなかったんだな」
「ラビリンス内には何十万人という人間が住んでいて、それぞれに家族や人生があるわ。不確実なやり方に同意ができないのは仕方がないことよ。でも、私は……仮に確実ではなかったとしても、その勝負をあきらめたくない。大切な誰かが犠牲になるこのシステムに打ち勝つのを……諦めたくはない」
ラレーシアは大きな瞳に涙を浮かべた。震える唇で言葉を紡ぐ。
「いえ、違うわ……。私は……そんな大それた人間じゃない。みんなの為に自分を犠牲にできるような人間じゃないわ。私は……私は、ただ、メメンプーに幸せになって欲しいだけよ……」
俺はその言葉を聞いて安心した。あいつのことを本気で愛してくれる人間――俺と同じ気持ちのやつがいてくれるのであれば、後は大丈夫だと信じることができた。
俺は腰に巻いた上着のポケットから、煙草を取り出す。
怪我も治っているし、両手とも動く。
サイバースペースってのは便利なもんだ。
そんな万能な空間なんだから、煙草くらい、普通のものが出てきてくれて欲しかったが、いつもの吸いなれた電子煙草が顔を出した。
俺は苦笑いしながら、咥え慣れたプラスチックを噛む。
煙草を摘まんでいた右手に、ノイズが走った。
どうやら時間らしい。
ラレーシアは寂しそうな、だが、全てを話してすっきりしたような顔で、目の前に佇む。
俺はラレーシアに笑いかけ、踵を返した。
「もう行くの?」
「……あぁ」
「……ガガンバー」
「ん?」
「ありがとう」
俺は振り向かず、右手を上げて答えた。
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