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序 ・ 石牢の蛇
よく晴れ渡った透明な空の頂を、黒々とした鳥影が旋回している。
大きな翼を広げた、美しい鷹だった。オロチは家の前にある樫の大木に登って、大空をゆく鳥
を見ていた。
どれだけ見ても飽きなかった。いつか、あんなふうに空を飛べたらいいなと思った。そうしたらどんなに気持ちがいいだろう。空から見る景色はどんなだろう。
「やあねえ。そんなことしても、届きゃしないわよ」
ふいに後ろから笑い声がした。見下ろすと、隣の家に住んでいる同い年のりんが、見上げて笑っている。オロチはむっとして、木の上から言い返した。
「うるさいな。呼んでもないのに来んなよ!」
「いつどこに来ようが、あたしの勝手でしょ」
りんは腰に手を当てて、ふんと鼻を鳴らす。
「あたしはあんたじゃなくって、周おばさんに用事があってきたの。おばさん、これ、うちのおっとうが獲ったんだって」
そう言ってりんは、顎に笹を通してひとまとめにした岩魚を、これみよがしに揚げてみせた。
「あらあら、おりんちゃん。いつもありがとうね」
むしろの上で種籾の選別をしていた母は、魚を受け取ると嬉しそうに笑った。
「おっかあ、そいつなんかほっとけよ」
「そんなこと言わないの。さあさ、あんたもそうやっていつまでも鳥を見てないで、こっちに来て手伝ってちょうだい。もうすぐ七つになるんだから、これくらいできなくちゃね」
「そうそう。そんなにいつもいつも見てたって鷹にはなれないわよ。なれるとしたら、せいぜい蛇ね」
「うるっさいな! りんのくせに!」
「なんですって! オロチのくせに!」
言い合うオロチたちを見て、母は笑う。
鷹はいつの間にか、いなくなってしまっていた。
オロチは舌打ちして、もう一度だけ空を見上げる。
雨が近いのか、風がゆっくりとつめたくなってきた。白粉を薄く刷いたような雲が湧いてくる。その雲の海の狭間を泳ぐように、細長くて銀色に光る蛇のようなものが、ほんのいっとき、見えた気がした。
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