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 いくら睦月が変な奴でも、ぼんやりしてマイペースに見えるような奴でも、普通に考えて、死んだ兄の恋人に対してキスしたりするはずがないのだ。数年ぶりに会って、なんの約束もなく一緒に暮らし始めて、それまで違和感や鬱陶しさを感じさせたことのない睦月だ。急に距離感を誤ってこちらを侵してくることなんて、本当はないはずだった。他人と一緒に暮らせば普通はストレスが溜まる。鬱陶しさや居心地の悪さが現れる。しかしあの夜まで、睦月はそれを一切感じさせなかった。それくらい優しくて賢い奴なのだ。睦月の存在は、むしろ友宏にとって安心ですらあった。  もしその優しさが、睦月自身をすこしずつ蝕んでいるとしたら。  光司が暮らした家で、光司の恋人と暮らして、そのこと自体が睦月をすこしずつおかしくしているとしたら。  速風光司はもういない。  睦月を見つけ、兄として愛して甘やかして、たとえ五回しか顔を合わせたことがなくても、睦月に強烈に存在を刻みつけたであろう光司。その鮮烈さは友宏だって知っている。光司の不在は四ヶ月経ったいまでさえ、冷たい絶望となって友宏の中に居座る。きっと一生消えはしない。一年と数ヶ月、光司と暮らして幸せだった。光司と出会ってから、友宏の生活はほとんど光司によって塗り替えられてしまった。光司はそういう人間だった。初対面から自分のペースに引き込んで、臆面もなくキスをしてきた光司。きっと睦月も同じような愛され方をした。それが急に失われたところに現れる真っ黒な虚無を、友宏は知っている。  葬儀を終えて、睦月があの家に現れるまでの約半月。その間の暗闇の中のような孤独。光司の不在に蝕まれるだけだった時間。あの半月を友宏はもう詳細に思い出せない。思い出したくないのだと思う。思い出そうとすると喉の奥が狭くなって、理性がやめておけ、と囁く。     
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