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 睦月と暮らした五ヶ月。その中で、睦月が友宏に何かを求めてきたことはなかったように思える。光司が死んで、睦月が現れて、睦月はあまりにも自然に友宏の生活に入ってきた。正直、最初の二ヶ月くらいは記憶が薄い。光司の代わりに与えられた役に必死で、いつ潰れてもおかしくなかった。光司をなくしたまま光司がやるはずだった仕事に入るのは苦しかった。キャスティングは光司に何を求めていたのか。自分はどう動くべきか。それだけで精一杯で、仕事のことを考えれば嫌でも光司の不在が身に沁みる。死んだ人間の存在を考えて心が悲鳴をあげる。気配や仕草をなぞろうとして幸福だったはずの記憶が擦り切れる。嫌になる程知っている人間をなぞるからこそ不完全な部分が目について、何度稽古を重ねても納得できない。電車のあるぎりぎりまで自主練をして、いつも帰りは夜中になった。それを睦月は黙って見ていた。じっと帰りを待っているというのでもなく、あく までさりげなく起きていた。先に寝ていることもあったが、それでも居間の電気はついていて、風呂が沸いていたり、軽い食事が残されていたり。友宏は何も言えなかったが、睦月は察していたはずだ。ぎりぎりまで睦月は黙っていて、本当に潰れる寸前に、無理矢理そこから引きずり出した。その時でさえ睦月は必要な休息を与えてくれただけで、他には何も言わなかった。それが、どれほどありがたかったか。  ただ黙って傍にいてくれる。  そんなさりげない優しさを、友宏は他に知らない。  これが家族であれば、もっと早い段階で友宏は仕事から引き離されていただろう。きっと舞台を降りてあらゆるところに迷惑をかけた。自分のプライドもずたずたになった。そうならなかったのは、睦月がいたからだ。 「俺は、一緒に暮らすのが睦月で良かったと思うけど」  睦月の頭を撫でながら言った。友宏の手の中で、睦月は震えるように首を振る。 「おれは、うまく光司にはなれないよ」 「ならなくていいよ」  手の中で睦月が少し顔を上げた。幼く見える頬が濡れていた。それを指で拭ってやると、睦月は子供のようにぎゅっと瞬きをした。長い睫毛が濡れて、友宏の親指の傍で震える。     
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