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 大した間も無く出たはずなのに友宏はもういなくて、廊下やトイレを探した。友宏は裏口に近い、関係者以外使用禁止になっているトイレにいた。出しっぱなしの蛇口を睨みつけて、泣くのを我慢しているように見えた。睦月に全く気付かず立ち尽くす姿に、声をかけるべきか迷った。  光司ならどうしただろう。  光司は優しかった。睦月の記憶にある限りいつも光司は笑っていて、それだけだったのに、光司がいると安心した。何を言っても光司なら優しく受け入れてくれるだろうという予感があった。  速風光司はもういない。  泣くのを堪える友宏を抱きしめたかもしれない光司も、何をしていいかわからなくて立ち尽くす睦月の背中を押したかもしれない光司も、もういない。  恐る恐る友宏の傍に寄った。手洗い台に向かって曲げられた背中に、迷いながら手を置いた。気づいて顔を上げた友宏と鏡ごしに目が合った。 「睦月」  友宏の驚いた顔に、何も言えなかった。  友宏は、たぶん、見られたくなかったはずだった。  それなのに睦月は追いかけてきてしまった。そうした方がいい、と思ったのは睦月の身勝手で、友宏は何も言っていない。  何も言わないまま鏡ごしにしばらく見つめあって、先に笑ったのは友宏だった。 「……ありがとな」  涙を堪えて無理をして笑う顔に、睦月は今度こそ何も言えなくなった。追いかけてきたのは睦月なのに、逆に友宏に背中を優しく叩かれて、何も言えなくて首を振っる。友宏は少し鼻を啜って、吐息だけで笑った。     
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