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 気がついたら玄関に膝をついていて、睦月が慌てて支えてきた。睦月の髪からは湯上がりの匂いがした。それに一層力が抜けて、なんかもういいかな、と体重を預けたら全然支えてくれなくて、そのまま一緒に倒れてしまった。玄関先で折り重なってぐったりした。膝が玄関の段差に当たって痛い。 「友宏、あの、重い」  腹筋なんて一ミリもありません、みたいなふにゃふにゃした声で言われて、なぜだか安心した。張り詰めていた糸がぷつんと切れて、体の関節がぐにゃぐにゃになっている気がする。力が入らない。 「……おわった」  無意識に絞り出した言葉で、仕事がひとつ終わったんだと思い至った。三月末から五月七日の今日まで、頑張ったという気持ちはあるが細かい記憶がほとんど無い。 「がんばったねぇ、友宏」  睦月が背中を軽く叩いてきた。 「見てたよ。かっこよかった。友宏いろんな声出るんだね。最後の投げキッスの時こっち見た?」 「え……覚えてない。どれ……カテコの二階のやつ?」 「それ」 「いるのは気づいたけど、そこまで細かく見てない……みんなに目が合ったように感じるようにはしてる……」 「ほんと? おれ目ぇ合ったと思ったよ。すごいねぇ」  睦月の声は素直だ。 「友達がすっごい泣いてたよ。あと友宏の写真? コンプしたって騒いでた。ファンクラブ九番だって」 「マジで? 嬉しい」  睦月が腹の下でもぞもぞする。 「あの、申し訳ないんだけど、床つめたくて背中とおしりが冷える」 「う、ごめん」     
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