白い脚

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それから私は家に引きこもり、藤香の家に行くことはなくなった。脳裏に彼女の悲痛な声が何度も過ったけれど、またあの忌まわしい歯形が浮き出るさまを目撃してしまうのではと思うと、とても彼女の元へ出向く気にはなれなかった。 そうしているうちに、私は親の都合で東京に越すことになった。結局私は藤香の家に行くことは叶わず、そして謝ることもできないまま、十年以上の月日が経っていた。 最近夢に見ることがある。家から逃げ出したあの時、私が見るはずのなかった藤香の表情。 藤香はこちらに手を伸ばしていた。大きく見開かれた瞳は青みが増し、ほろほろと涙が零れ落ちる。そうして、桜色の唇が小さく震えるのだ。 行かないで、と。 あの歯形がなんだったのか、それは今でもわからない。一つだけ知ったのは、私が歯形について藤香に尋ねたその時、彼女の父親は既に亡くなっていたということだけだ。 私は時々思い出す。体を包み込む熱気。混ざり合う蝉と風鈴の音。剥きだしになった白い脚。苦しくなる胸。醜い歯形。 それから、青味のかかった綺麗な瞳を。 そして私は思う。あの町で、あの縁側で、あの子はまだ道行く子供達を眺めているのではないかと。 当時と変わらぬ綺麗な見た目で、浮き出る歯形に苦しみながら、それでも美しく笑っているのではないか。 そう、思ってしまうのだ。 それを確かめる勇気もなく、私はただ歪な思い出に胸を焦がしては空を仰ぐ。 今年もまた、夏が来る。
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