0人が本棚に入れています
本棚に追加
「ねぇ、水たまりの主って知ってる?」
「水たまり? 主?」
エリが首をかしげる。
「水たまりの主。ミンスタで見たんだけど、こんな雨の日の夕方、今みたいな時にさあ、傘もささずに歩いてると濡れるじゃん?」
「そりゃ、濡れるね」
「傘をささずに全身ずぶ濡れ。下着までびちょびちょ。そんな状態で水たまりを踏むと……」
リカはもったいつけて間を空ける。
「踏むと?」
「水たまりの主に見つかる」
「見つかるとどうなるの?」
「水たまりの主は見るんだって。だから、水たまりから何かの気配を感じる。水たまりの中に何かがいる。そんな気になってくる」
エリが足下の水たまりを見た。
「気配がするだけ?」
リカは首を振る。
「水たまりの主は待ってる。獲物がもう一度、水たまりの上を通るのを」
「通るとどうなるの?」
「水たまりの中に吸い込まれちゃうんだって」
「吸い込まれるほど深くないじゃん」
もっともなツッコミだ、とリカは思った。
「水たまりの主は、水たまりを底なしに変えて、その底からやって来るらしいよ」
「なにそれ。なんなの、その水たまりの主って」
「さあ、分かんない。ミンスタで見ただけだし」
「そんなのがあるなら、みんな死んじゃうでしょ」
リカはうなずいた。
「そうだね。だけど、この話を知らない人は、水たまりの主には襲われない。知ってる人の前にだけ、水たまりの主は現れる」
返答はない。無言で歩く。
リカは隣を横目で見た。エリは前を見ている。なにを考えているのか分からない。怖がっているのだろうか。それとも馬鹿馬鹿しくて返す言葉もないのだろうか。リカがそんなことを考えていると、エリと目が合った。不信感の入り交じった目をしている。
「ひょっとして、これから私が濡れて帰るから、そんな話したの?」
「ぴんぽーん。正解」
リカはわざとバカっぽく言った。嫌がらせとして話したが、雰囲気が悪くならないようにしないといけない。
「うわっ、性格わるっ」
ちょうどその時、エリと別れる地点にたどり着いた。リカは足を止める。早く傘から出て行って欲しいと思ったが、表には出さずにっこりと笑って、別れのあいさつを口にした。
「じゃあね。水たまりの主に気をつけてね」
「ばーかばーか」
捨て台詞を残し、エリは傘から出て走った。濡れることを覚悟しているからなのか、やる気のないマラソンみたいな速度だった。
最初のコメントを投稿しよう!