第1章

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〇  「ですから、児童に一番重要なのは家庭環境と考えるのは、私一人の意見ではありません」  氷室先生はおばあちゃんにいった。  あたしは二人の座っている茶の間を、ふすまのかげからこっそりのぞいている。  メガネのレンズが冷たく反射しているばかりで、先生の表情はよくわからない。  でも、この声を聞いたら楽しいお話であるわけがない。  「夏休みになにか、ご家庭で急激な変化があったのでしょうか? 二学期のみずきさんの生活態度は目に見えて悪くなっています」  「……悪く、と申しますと?」  肩をまるめるようにして、おばあちゃんは聞いた。  アイスマンはメガネのブリッジを中指で押し上げた。  レンズがキラーンと光る。  先生、もしかして喜んでる?  「まずは、服装の乱れが顕著です。ボタンがかけちがっていたり、靴下の色が左右で違っていたり、髪に寝癖がついたままだったり。遅刻も多い。夜ふかしのくせがついていて、朝起きられないのではないですか? それから、ひどいのが言葉づかいです」  「言葉づかい?」  「てめえ、くだらねえ、ぶっころす」  自分の口がまるで汚れてしまったみたいに、先生はハンカチをあてた。  「このような言葉を、クラスメートに対しみずきさんは使います。しかも、態度が非常に暴力的でぞんざいです。物をこわしたり、忘れ物をしたり、授業中も落ち着きがない。私は、女の子だから男の子だからとは、いいたくありません。しかし、このような少女の言動からは、非常に短絡的な欲望嗜好で、破滅的で、相手への思いやりを欠いた、殺伐とした心象風景を想像せざるをえません」  おばあちゃんは下を向いちゃった。今にも泣きだしそうだ。  アイスマンの野郎、ぶっころす!   なにいってんだか、さっぱり、わかんないけど。  頭にきて、ふすまにぐいと手をかけた。  そのえりくびをひっぱられた。  「ぐえ」  「いわせておけ」  えりをひっぱられたまま、玄関までひきずっていかれた。  「ちょっと、気安くさわんないでくれる」  あたしは体をぶん、とふんばって手から離れた。  ひぐっちゃんは今頃起きてきたようだ。  麦わらみたいな黄色い髪に、ごうかいな寝ぐせがついている。  「あれがうわさのアイスマンか。相当なもんだな」  Tシャツのすそから手をつっこんで、ぼりぼりお腹をかいた。  「でしょ? 頭くる!」  あたしは両手で空気をひっかいた。
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