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個人経営の小さな町のカフェは隠れた名店というに相応しい。穏やかな初老の夫婦が美味しい紅茶とケーキを提供してくれるその場所は、窓沿いのカウンター席が五つとテーブル席が二つのこじんまりとしたものだが、とても居心地のいい空間だ。
雨の日に一人、この場所でガラスを叩く雨を見ることが好きだった。
「どうぞ」
紅茶のカップとシフォンケーキの乗ったお皿が軽い音をたてて目の前に置かれる。笑顔の奥さんにお礼を言うと、ごゆっくり、と優しい声が降ってくる。
湯気を立てるカップに息を吹きかけ、一口。温かな温度が雨で冷えた体を温めてくれる。続いてフォークで切り分けたケーキに添えられたクリームをつけて口に運ぶ。柔らかな弾力と微かな甘みを楽しみながら飲み込むと、自然と頬が緩んだ。
しばらくそうして過ごしたあと、レジの中にある時計が十八時を指していることを確認してフォークを置いた。お皿の上にもカップの中にもまだ楽しみが残っているが、今から六分間はお預けだ。
頬杖をつき、視線を目の前のガラス窓に固定する。私の定位置となっているカウンターの前には、ちょうどバス停があった。乗車人数が増えるはずの雨の日でも、ほとんど人の並ばないその場所にいつも十八時になると現れる人がいる。
黒縁眼鏡に癖のある黒髪、緑色のカバンを肩にかけ、右手には傘、左手にはスマホといういつもの格好。
十八時六分発のバスに乗るその人で、私は勝手な妄想をしている。
妄想の中で、私は彼に恋をしている。片想いをして、彼が振り返ってガラスのこちら側にいる私を見てくれる瞬間を待っているのだ。
ガラスを叩く雨は私にとって、窓の外側と内側を隔てる魔法のようだった。
バスが来て、その人を乗せて去っていく。今日も私の妄想は妄想のまま終わった。
雨の日の逢瀬。いつか現実になる日が来ることを望みながら、また私はここに来るのだ。
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